1学年先輩の左腕・早川貴久(現早大1年)の背中を見て育ってきた。旧チームから打線の軸を任されるなど、打撃センスにも長けており、本人も日本ハム・大谷翔平の「二刀流」を強く意識している。 取材・文=今村成一、写真=窪田亮 187センチと長身で体全体にバネがある。今春に最速145キロをマーク。伸び盛りであり、150キロの大台も決して夢ではない
魅力は体幹の充実ぶり、そして腰のキレ
輝と書いて「ひかる」と読ませる。4歳上の兄・透さんは「とおる」。透明に輝け、という両親の願いがよく分かる。
兄も遊撃手として千葉国際高(現翔凛)で活躍。その影響で保育園児のころからキャッチボールを始めた。小3で木更津市の少年野球・岩根フェ
ニックスに入団。4年生で初めて投手を経験している。木更津市立岩根西中では軟式野球部に入部したが「残念ながら、ほんとに田舎の小さな野球部。9人そろわないこともありましたから」と苦笑い。すぐに、もう170センチを超えた体で頭角を現し、運動神経と同時に投手としての資質、将来性の高さは近隣ばかりか県下に知れわたった。
その証拠に千葉県を主体に構成されたKボール(現在はKWB)の県選抜チーム「千葉ファイターズ」に合格。木更津総合高・青山茂雄部長は「中体連の選手選抜会には約200人が参加。相当な競争率でした」と話す。チームは全国大会に進出し、見事に優勝。エースだった山下には千葉県内はもちろん、神奈川、埼玉、東京ほか全国から勧誘、問い合わせが殺到。小さな野球部の“お山の大将”でしかなかった山下が脚光を浴びたのだ。
山下本人も承知の上。気分の悪いはずはないが、「自宅から遠くなく、甲子園出場の可能性も高い」といういかにも現代っ子らしい理由と五島卓道監督の、厳しい中にも人間性あふれ、考えながら成長させる納得ずくの指導に触れて木更津総合高に決めたという。だから、山下は、生まれてから木更津を出たことがない。生粋の木更津っ子と言える。
山下の存在は、当然五島監督の耳にも届いていた。入学当時はエースへの道を歩んでいた
早川隆久(現早大1年)の育成に必死だった監督は、山下の将来性と可能性をすぐに見抜いたが、「下級生のときから投手と打者の両方は無理だろう」の考慮から五番・一塁手として甲子園でもスタメンで使える選手に育て上げた。シニアやボーイズ出身者が居並ぶ中で、硬式球に慣れてくると・・・
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