不完全燃焼だった過去2シーズンの不甲斐ない姿を振り払うかのように、生き生きと投げている。育成出身という過去が忘れ去られてしまうほど、リリーバーとして頼られる存在だ。思い入れたっぷりの背番号「47」を背に、夢を叶かなえるため、砂田毅樹は全力で左腕を振る。 文=石塚隆 写真=大賀章好、大泉謙也、BBM 
今季は試合展開、場面に関係なくマウンドに上がり、チームを支える
明確だった目標
夢を実現する、想いの強さ──。
横浜DeNAベイスターズの砂田毅樹には、そんな能力が備わっているのかもしれない。小学校2年生のときから始めた野球。以来あこがれ、淡く思い続けてきたプロの世界。ひと握りの人間しか到達できない特別な場所で、今、リリーバーの一角として堂々とプレーをしている。
「小さいときからどうすればプロ野球選手になれるのかずっと考えていたんです。何て言うのか、人によって練習してもうまくならない人もいれば、逆に上達する人もいる。どうしてなのかと考えたとき、自分に合っていることをやるべきだということに気づいたんです。そのためには自分の肉体的な特性やどんな選手なのかを知り、何が足りないのかを理解しなくてはいけない。中学生のとき自分にきちんと向き合うことに気づいたことで、吸収率はアップしていきました」 プロになるために自分には何が必要なのか取捨選択できるようになった。結果、スキルは急激に伸びていった。そして高校進学の際、地元・札幌で名の知れていた砂田は、北海道内の学校には進まず、声を掛けてくれた秋田県の名門である明桜高へと進んだ。
「プロになるため、自分の名を知ってもらうには、明桜に進むのが一番だと判断したんです」 結論から言えば、砂田の選択は間違いではなかった。甲子園出場には至らなかったが、最速147キロのストレートに加え、スライダー、カーブ、スクリューボール(シンカー)を操る技巧派サウスポーとして東北地方で名を馳せ、2013年秋の育成ドラフトにおいてDeNAから1巡目で指名された。
砂田の想いは実を結び成就したわけだが、育成での指名についてどのように考えていたのか。可能性を見いだされてはいるものの、決して大きな期待が掛かっているわけではない。
「まずはプロの世界に入ることが重要だと思っていたので問題ありませんでした。自分の感覚からすると大学や社会人に進んでいたら伸び悩んでいたかもしれません。よりハイレベルであるプロの世界で、高い場所を目指すほうが性に合っていたし、時間をムダにすることなく成長できると思っていました」 だが実際、プロの世界に足を踏み入れるとあまりのレベルの高さに驚愕(きょうがく)した。
「ボールは速いし変化球のキレもすごい。ブルペンを見たときヤバイなって」と、当時を振り返る。ただ1年目は故障もあり満足に投球することができず、本腰を入れ始めたのは2年目からだ。砂田はここでも考えた。
「球速で抑えることができないピッチャーは何をすればいいのか。やはり投球術に頼らざるを得ません」 そこで・・・
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