西武から移籍2年目の今季、開幕スタメンを勝ち取った。新体制で持ち前の溌溂(はつらつ)としたプレーが評価。BIGBOSSからは“ペッパー師匠”のニックネームを付けられるなど、勝負強い打撃で一皮むけつつある。選手の知られざる“内面”に迫る野球浪漫。2022年の連載は“道産子ニュースター”の呼び声高い25歳からスタートする。 文=金田正大(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭、高原由佳、山口高明、BBM 
人懐っこい笑顔に、人間味あふれる飾らない言葉が佐藤の魅力を引き立てる
トレード移籍で涙
目映(まばゆ)いライトで照らされた舞台は、特別な意味を秘めていた。シーズンが開幕した3月25日。敵地・福岡での
ソフトバンク戦で、
佐藤龍世は「七番・三塁」で先発出場を果たした。球団が札幌に本拠地移転後、北海道出身選手が開幕スタメンに名を連ねるのは初めてのことだった。開幕を控えた4日前。
「僕と、今川に懸かっているということですね。開幕スタメン、いいっすね」と同じ道産子の
今川優馬とともに、ひそかに偉業達成を狙っていた。紆余曲折を経て故郷に帰ってきた男が、新たな1歩を踏み出した瞬間だった。
雄大な北海道の南東部に位置した、厚岸(あっけし)町。牡蠣(かき)の名産地として知られ、人口は1万人にも満たない小さな漁師町で、佐藤は生まれた。実家は牡蠣やカニを採る漁業を営み、長男の佐藤も牡蠣の殻むきなどを手伝ってきた。高校は北海道の古豪、北海高に進学。四番を担ったが、一度も甲子園に出場できなかった。富士大に進学後、3年春にリーグ首位打者と本塁打王を獲得。秋には打点王に輝き、持ち前のパンチ力ある打撃を開花させていった。
2019年にドラフト7位で西武に入団。
森友哉と出会い、公私で慕う「お兄ちゃん」ができた。順風満帆に見えたプロ野球人生で、悪夢を味わった。20年4月、新型コロナウイルス拡大防止の自粛期間中に、運転する車で速度違反を犯し懲役3カ月、執行猶予2年の判決を受けた。無期限での対外試合出場禁止、ユニフォーム着用禁止の処分を受けた。そして21年8月、交換トレードで
日本ハムに移籍。再スタートのチャンスにも、戸惑いのほうが大きかった。
「当時は本当に、めっちゃ急だったので、心の整理とか全然つかなかったです。3年近く一緒にやってきた仲間と、離れる寂しさのほうが大きくて。日本ハムは地元の球団なので、いつかはファイターズでプレーしたいというのがあったんですけど、ちょっとあまりにも早過ぎた。自分の中では。めちゃくちゃ泣きました。寂しくて」 トレードを告げられる前日、森と名古屋で食事をしていた。午後8時過ぎ、球団広報から「大事な話があるので、連絡ください」とスマートフォンにメッセージがあり、すぐさま連絡した。心の中のざわめきが止まらなかった。
「前に1回やらかしているので、だからまた何かやらかしたかなと最初思った」。広報からは明日の昼、球団本部長とGMから話があるためスーツを着て、指定場所へ来てほしいとだけ伝えられたという。悪い話でしかない──。不安だけが心を占めていた。
「森さんに、すぐ『ヤバいっす、また何かやったかもしれないです』と。そしたら森さんは『普通、スーツで来いと言わん。トレードじゃない?』と言っていて。自分はトレードだと思わなかったんですけど、森さんに言われて、確かにそうかもしれないと思ったんです。そしたら、すぐトレードと言われて。本当に急でしたね」 森のおかげで覚悟はしていたが、いざ「トレード」を耳にしたときは涙が止まらなかった。苦境に立たされたとき、世話になったチームへの愛着は人一倍あった。一番最初に報告したのは、厚岸町の両親。
「近くなるし、親はすごいうれしがっていた。もちろんビックリもしていたけど、ホッとしていた」。8月20日の
楽天戦(札幌ドーム)に両親を招待した際には・・・
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