人は時として“生まれ変わる”ことができる。2020年オフの戦力外、独立リーグという選択。再び、戻ってきたプロ野球界での活躍。右腕の野球人生において、すべては必然の出来事だった。過程で芽生えた感情も、今の右腕を築き上げている。 文=喜瀬雅則[スポーツライター] 写真=桜井ひとし、BBM 苦境で見いだす“生きがい”
シーズン87試合目となった2023年7月26日。ソフトバンクは、その前日に、やっと連敗を「12」で止めたばかりだった。連敗直前の7月6日には貯金「15」を数え、首位に立っていながら、3週間足らずであっという間に3位まで転落。投手陣の立て直しが急務となったその苦境下で、故障明けの藤井晧哉は、45日ぶりに一軍のマウンドに立った。
「もちろん、1年間決まった役割でやっていくほうが、コンディション的なことを考えれば、もちろんいいなとは思うんですけど、必要とされて変わるのであれば、それは『“チームに”必要とされている』ということだと思うんです」 26日の京セラドームでの
オリックス戦は、先発のC.
スチュワート・ジュニアが6回1失点。5対1とリードした7回、二番手で登板した藤井は、2四球を許すも1回を無安打無失点。“中継ぎ復帰初戦”でも、さすがの安定感を見せた。
22年、藤井は自らの力でチャンスの糸を手繰り寄せた。ありきたりの言葉で言えば、まさに「シンデレラ・ストーリー」を描いたシーズンでもあった。
20年に
広島から戦力外通告を受けると、21年は四国アイランドリーグplusの高知へ。独立リーグでの1年を経て、育成契約でソフトバンクへ入団すると、オープン戦5試合に登板、6回で10奪三振、防御率1.50をマークして、開幕前に支配下登録。すると、シーズンでは55試合に登板、5勝1敗3セーブ、22ホールド、防御率1.12という、リリーバーとしては文句なしの成績を挙げた。今季は一転、先発ローテーションの座をつかみ、開幕から約2カ月で5勝。転身後の立ち上がりも、順調そのものだった。
ところが、6月11日の
巨人戦(PayPayドーム)で左内腹斜筋の肉離れを発症。3回で降板すると、翌12日に出場選手登録を抹消された。一方でチームは、7月7日から同24日まで、前身の南海が1969年に15連敗(1分けを挟む)を喫して以来の大型連敗となる54年ぶりの12連敗。藤井はブルペン立て直しのため、中継ぎでの一軍復帰となった。
シーズン途中、しかもチームが最も苦しい時期での役割変更。週に1回の登板になる先発と、毎日ブルペンに入るリリーバーでは、コンディションの調整方法も、試合へ向けたメンタル面でのアプローチも、それこそ日々の生活のリズムすら変わってくる。
しかし、その困難さを、右腕は意に介さないどころか、むしろそこにプロ野球選手としての“生きがい”を見いだしている感すらある。それは頼られているという充実感であり、生き馬の目を抜くプロの世界で、第一線で戦い続けているというプライドだ。その覚悟が、苛烈な言葉に込められている。
「一回、プロ野球選手としては死んだ、というか、はい……。そう思ってるんで」 その波瀾万丈のキャリアを、藤井の野球人生の節目に立ち会った3人の証言を交えながら、振り返ってみたい。
環境の変化、心境の変化
今夏の甲子園で一大旋風を巻き起こし・・・
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