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野球浪漫2023

ソフトバンク・川瀬晃 究極の自己犠牲「自分が打つより、自己犠牲でつないで得点したときのほうが快感を覚えるようになった」

 

“目立ってナンボ”のプロ野球の世界。ただ、「何をすべきか」を明確にしたとき、前に出ることだけがすべてではないと悟った。『二番・ショート』を奪取し、自らの生きる道を示す。
文=田尻耕太郎(スポーツライター) 写真=湯浅芳昭、BBM

どこかあどけなさも残るが、プロ8年目のシーズンを終え、確かな自信ものぞかせる


入団時からの愛されキャラ


 思わずうなった。今年5月21日の西武戦(PayPayドーム)、川瀬晃が奇襲を決めた。二死満塁から、まさかのセーフティースクイズだ。

 1点リードの5回裏だった。川瀬は森脇亮介の2球目の外角直球をドラッグバントし、二塁手の前に転がした。驚きが混じった歓声が本拠地を包む。その異様な雰囲気の中、川瀬は一塁に猛然とヘッドスライディングで飛び込み、適時内野安打をもぎ取った。

「常にスキがあればセーフティーバントを仕掛けようと、打席に入っています。その中で2アウト満塁のチャンスでしたが、思い切って自信を持って仕掛けた結果がいい結果につながりました。大きい追加点となって良かったです」

 仮に投ゴロや一ゴロなどで簡単にアウトになれば、どんな非難の声を浴びただろうか。それでも「事前に森(森浩之)ヘッドコーチからも『チャンスがあったら狙いにいっていい』と言われた。一塁手も(位置が)下がっていたので勇気を持って」とベンチのサインではなく、自身の判断だったことを明かした。

 9月7日のロッテ戦(PayPayドーム)でも好判断があった。4対3と1点リードで迎えた7回表、守備固めで三塁に入った直後に大きなプレーを見せた。無死一塁。送りバントを仕掛けられたが、規格外の猛チャージですぐさまボールを拾うと二塁へ送球。走者をアウトにしてピンチ拡大を防いだのだ。打者とすれば決して悪いバントではなかったが、川瀬のギャンブルとも言える守備シフトがそれを阻止した。場面を想定すれば、まだ無理をするイニングではなかったかもしれない。だが、川瀬は「試合の流れを読んでいた」と絶対的な自信があった。このプレーもまた、ベンチの指示ではなかったという。

 野球偏差値の高い玄人好みの選手──それが川瀬の印象だ。

 こんなタイプは今どき珍しくなった。昨今の野球はテクノロジーの進化によってプレーの数値化や可視化が進み、速さや強さの質が驚くほど向上し続けている。だから、派手で華のある野球を好む選手がとても多くなった。

 今季がプロ8年目だった川瀬。2015年秋のドラフト6位でソフトバンクから指名された当時は「川崎宗則2世」との呼び声もあった。「内野手としてのセンスを感じさせる。川崎が入ったころを思い出す」というのがスカウト評。もちろん偽りはないが、それ以上にヒョロッとした背格好とあどけない童顔がかつてのスターを連想させた。入団時の体重は63kgしかなかった。

 そして、そのころの髪型も相まって、プロ入りしてすぐに球団トレーナーから4コマ漫画の主人公でおなじみの『コボちゃん』のあだ名で呼ばれるように。いかにも純朴なキャラがピタリと当てはまり、それは一気に浸透した。

「監督やコーチにもすぐ呼ばれるように(笑)。入団して間もない自分を知ってもらうきっかけになったし、ファンの皆さんにも覚えてもらえた。だから、うれしかったです」

 温かい目で、まるで甥っ子の成長を見守って応援するような気持ちで、ファームのころから見続けているファンも少なくないようだ。

親子で記憶に残る情景


 理想の未来図は、川崎のように若くして一軍でレギュラーを張り、球界を代表するショートへ……。だが、プロの世界は甘くはなかった。

 3年目に一軍デビューを果たすも、レギュラーどころか一軍定着にも程遠い状態。5年目の20年は全120試合のうち70試合に出場してきっかけをつかんだかに思えたが、翌年は出場21試合と逆戻り。いずれのシーズンも打率が1割台と課題は明白だった。

「野球漬けになって毎日やっていれば、いずれは力がついてチャンスも増えて一軍選手になっていけるんじゃないか。若いころはそんな甘い考えが少しありました。5年目にシーズンの半分以上の試合に出られたし、巨人との日本シリーズも全部途中からだったけど4試合すべてに出場して日本一にもなれた。『これでイケる』と思いました。でも、翌年はまったくダメ。そこが僕の転機の一つとなりました。一軍で自分の居場所をつくるために、どんな選手であるべきなのか。それを本当の意味で明確にする必要があると考えるようになったんです」

 野球は団体競技。縁の下の力持ちがいなければ成り立たないのは、学生でも分かることだ。だが、強烈な個の集団であり、アマチュア時代は主役を張ってきた男たちが集うプロ野球の世界において、自らを“名脇役”と切り替えられる選手は、実はそう多くない。プライドが邪魔をして芽が出ないままユニフォームを脱いでいく。そんな切ない現実もまた、プロ野球にはある。

 だが、川瀬は「僕は自信家じゃなかったから」と笑い飛ばす。さらに言葉を継ぎ、生まれ故郷の大分で過ごした幼少期の「今も憶(おぼ)えている、あれが僕の野球の原点だったと思う」という情景について自ら切り出した。

「僕は男5人兄弟の4番目。一番下はオリックスにいる堅斗(川瀬堅斗)ですが、兄貴はみんな年が離れています。僕は幼稚園のころ、10歳上の3番目の兄の野球を毎週のように見に行ってたんですが、家に帰ったら自宅の庭で『1人野球』をして遊んでいました。『ピッチャー投げました、打ちました』って実況しながら(笑)。それだけじゃなくて、『ここはノーアウト一塁。送りバントでしょう』とか、盗塁を仕掛けたりとか、自分で“采配”を振るうんです。まだ野球を始めてもいなかったのに。今思うと、そのころから考えながら野球をするのが好きだったんでしょうね」

 川瀬を取材した日、たまたま球場のそばに父の保男さんが来ており、その話を振ると目を細めて懐かしんだ。

「日が暮れて真っ暗になってもね、ずっと庭で何か言いながら打って、走ってみたいなことをやっていました。それこそ何時間も。昼のグラウンドだって野球をしっかり見ていましたね。幼稚園くらいの子どもなんて飽きっぽくてグズるのが普通ですが、晃はまったくそんなことはなかった。ただ、元気があり余ってあちこちでスライディングをしてました。アスファルトの上でもお構いなし。危ないから土の上でやれって。そこでも何度も繰り返すもんだから、車のシートはいつも泥だらけでしたよ」

 川瀬自身が最初に野球チームに入ったのは小学校3年生のころ。しかし、年功序列の方針で上級生しか試合に出られず楽しさを見いだせなかったため、すぐにやめてしまう。5年生の冬に立ち上がったばかりの『賀来ヤンキース』に入り直すまでは中学生のチームに練習参加だけさせてもらっていた。

「だから初めて試合をしたのは6年生になってからでした」

 中学時代は軟式の野球部に所属。エースを務めてはいたが、チームの中で一番体は小さく、「中学生にしては、まとまっている投手というのが取り柄」だと本人は語る。別の中学にはもっと有名なピッチャーがいた。

「僕は目立つ存在じゃなかった」

 3年夏の大会が終わると、高校から硬式野球を始める生徒を集めた練習会に参加した。そのときだ。県内屈指の“有名なピッチャー”のほうから声を掛けられた。

「高校はどこ行くの?」

 川瀬がまだ決めていないことを告げると、その彼に「俺はダイショー(大分商高)に行くけど、推薦来てない?」とまた尋ねられた。

 話し掛けてきたのは、現・広島森下暢仁だった。

「僕もダイショーから推薦の話はもらっていたんです。森下が行くなら自分も行こう。きっかけをつくってくれたのが森下でした」

 大分商高では1年からベンチ入り。控えだったが、夏の甲子園のメンバーにも入った。その後は当然のごとくレギュラーとなり、3年時には主将も務めた。それでも川瀬は鼻が伸びるどころか、胸を張るわけでもなかった。

「僕よりもっとうまい選手はいる」

 気づけば、森下はU-18日本代表に選ばれるほどの投手になっていた。当時、大分商高で誰もが知る存在と言えば森下以外の名前は挙がらなかった。その森下は明大進学を表明。それでも川瀬の下にも複数の球団から調査書が届いた。「ほんのわずかだとしても可能性があるなら」とプロ志望届を出すと、体の線は細くとも野球センスの高さを見込んだソフトバンクから指名の声が掛かったのだった。

 プロ野球選手になっても、川瀬の謙虚さは変わらなかった。それが可愛らしい弟キャラとなった「コボちゃん」の愛称につながった部分もあるだろう。だが、腰の低さが仇(あだ)となる世界だ。少々天狗(てんぐ)になるくらいのふてぶてしさがなければ、群雄割拠の中で勝ち抜くことは難しい。

 その意味で言えば、川瀬は変わった。自身で転機としていた21年の挫折は、プレースタイルだけでなく、考え方も変えるきっかけとなった。

挫折を経て見せた変化。“チームファースト”で、一つひとつのプレーに全力を注ぐ


あらわにしたライバル心


 川瀬は複数ポジションを守ることができるユーティリティープレーヤーだが、ショートに一番こだわりを持っている。ソフトバンクの正遊撃手と言えば今宮健太が長年その座を守っている。同じ大分出身の今宮には若いころから自主トレも同行させてもらうなど世話になりっぱなし。あこがれであり、目標であり、尊敬もしている。その気持ちを捨て去ったわけではないが、この1、2年は今宮へのライバル心をむき出しにするようになった。「今宮さんからショートを奪う」とはっきり口にした。

打倒・今宮健太! 遊撃のポジションを争う戦いは秋から始まっている


 21年9月に結婚したことも大きかった。もともと食が細く「夏場はそうめんだけでお腹いっぱい」だったが、3歳年上の姉さん女房の支えで食事に対する意識と取り組みがガラリと変わった。「若いころの寮生活のときより食べる量が増えた」。川瀬家のテーブルには常に5品前後のおいしい料理とサラダ、フルーツが並ぶという。昨年4月には第1子の女児にも恵まれた。

「野球だけでなく、人生のタイミングもいろんなことが重なった。僕にとっては良かった」

 今季は自己最多となる102試合に出場した。打率は前年の.278よりも低い.236だったが、冒頭にも記したような数字に表れない部分でもチームに貢献した。

「シーズン終盤、二番打者で試合に出ることが多かった。一番の周東(周東佑京)さんが出塁して、自分が犠牲になってもつなぎさえすれば、後ろにはギータ(柳田悠岐)さんと近藤(近藤健介)さんがいる。どうすれば1点が入るか。どうすればピッチャーをかく乱させたり、集中力を切らせたりすることができるのか。いろんなことを考えながら試合に入っていました」

 まるで将棋の名人のように、次の一手を常に考える。「何をすべきか」。それがふと頭をよぎるようになったという。

「これ本当のことなんですけど、自分が打つより、自己犠牲でつないで得点したときのほうが快感を覚えるようになったんです」

 そんな川瀬の野球観を認めるのが、チームを新たに率いる小久保裕紀監督だ。シーズン後の秋季キャンプで「そういう気持ちを忘れるな。自己犠牲の精神はチームに絶対必要だし、お前にしかできない」と声を掛けられた。ちゃんと見てくれていたことがうれしかった。同時に「さらに突き詰めないと」と心に誓った。

「もっと明確になりました。今までは試合に出たいと言ってきましたが、これからは『二番・ショート』とはっきり言います。自分の良さを一番発揮できるのは二番打者でつなぐこと。野球にはそういう選手が1人くらいいてもいいんです」

 小久保新体制でのソフトバンクは、24年の開幕戦は“王者”オリックスと京セラドームで激突する。

「レギュラーを本気でつかみたいし、開幕戦の独特な雰囲気の中、セレモニーで真っ暗な球場の中で自分だけスポットライトに照らされるシーンとか想像すると、鳥肌モノですよね」

 川瀬は胸を張っていた。確かな自信が宿っている。ここ最近は顔つきも大人びてきた。そういえば、最近は「コボちゃん」の呼び名は、チーム内ではすっかり聞かれなくなった。

PROFILE
かわせ・ひかる●1997年9月15日生まれ。176cm70kg。右投左打。大分県出身。大分商高-ソフトバンク16[6]=8年。
野球浪漫

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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