現役ドラフトでの移籍という転機を経て、指揮官が自らの“武器”に気づかせてくれた。強気の投球に磨きをかけると、あっという間にブルペンで居場所を確立。これからも右打者の内角をえぐるシュートで、チームの窮地を救っていく。 文=北川修斗(スポーツライター) 写真=桜井ひとし “伝家の宝刀”の再発見
新天地で新たな武器を手に、確かな居場所を見つけた。移籍1年目から巨人のブルペンで欠かせない存在になっている右腕は、こう口にする。
「監督の助言が、僕の生きる道を広げてくれた」 今では田中瑛斗の代名詞となっている球種がシュート。元々の持ち球であり、
「得意な球ではあった」と言う。だが、スイーパーのほうがより自信を持っていた。巨人に加入後、投球を見た
阿部慎之助監督から「素晴らしい球。武器にしていこう」と言われ、
「曲がり球には自信があったので『そこ言われるんだ』みたいな。『はい』って言ったものの、本当にできるのかなって不安はあった」と振り返る。
最初は半信半疑。それでも、指揮官の言葉が大きなきっかけになったことは間違いない。
2017年秋のドラフトで3位指名を受け、大分・柳ケ浦高から
日本ハムに入団。多彩な球種と150キロを超えるストレートを投げ込み、将来を期待されていた。だが、右肘の手術もあって育成契約も経験。一軍では7年間で6試合の先発を含むわずか10試合の登板にとどまり、1勝4敗、防御率6.00ともがく日々が続いた。
「強い真っすぐを投げ込もう」というチーム方針の中で、自身のストレートだけでは痛打されると感じていた右腕は、ストレートに近い球種の習得に着手。
「意外と練習する期間もそんなにかからず投げられるようになった」。それが、のちに“伝家の宝刀”となるシュートだった。
日本ハムでの7年間、確かに成績は振るわなかったものの、
「いろいろ経験させてもらった。苦しい期間のほうが長かったですけど、今の自分には必要だった時間なんじゃないかな」と感謝の言葉で振り返る。
転機となったのは22年から導入された現役ドラフトだった。24年12月、第3回の同ドラフトで日本ハムから巨人への移籍が決定。
「ファイターズに不満があるとかではないけど、自分のことをイチから見てくれるチームに興味があった。もし、そういうチャンスがあるんだったら、新しい地で頑張りたいという気持ちはあった」と心境を吐露する当時25歳の右腕には、願ってもないチャンスだった。
昨季12球団トップのチーム防御率2.49をマークしたセ・リーグ覇者へ、求められての移籍。
「移籍することに関してはポジティブだったので、『ヨシ!』という気持ちだったんですけど。『ジャイアンツか……いい投手多いよな』って。12球団で一番防御率が良かったのは知っていたんで、『大丈夫かな』ってちょっと不安はあった」と苦笑いしたものの、自らの力により不安を振り払うことで杞憂に終わる。
昨年12月12日に東京・大手町の球団事務所で行われた入団会見。同席した
水野雄仁編成本部長代理スカウト担当は・・・
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