今季、非公式戦では10試合12回1/3を投げ、防御率11.68だが、6月25日の練習試合では1イニングを完璧に抑えた(写真=BBM)
よみがえりつつある指にボールがかかる感覚
徐々にだが、確実に輝きを取り戻しつつある。かつて甲子園を沸かせた
ソフトバンクの新人、
島袋洋奨。小柄な左腕は大きな壁を乗り越え、プロでの手応えをつかみ始めている。
6月25日の3軍練習試合、
阪神戦では1点リードの9回にマウンドに上がり三者凡退。直球の最速は149キロを計測した。
「指にイメージ通りかかる球が多かった。この調子で行きたい」。
満面の笑みが状態の良さを表している。 新人イヤーの今季、島袋の主戦場は3軍だ。高卒新人らが主に所属しており、福岡の大学や独立リーグ・四国アイランドリーグplusなどと試合を行い、実戦経験を積む場となっている。
相手はプロではないことがほとんど。だが入団当初、島袋はそこでも結果が出せなかった。直球の最速は130キロ台後半と球威がなく、何よりも制球難に苦しんだ。 3月24日の福岡工業大戦では、7回からマウンドに上がったものの、3分の2回を被安打2、四死球3で6失点(自責4)。自分よりも年下の大学生相手に結果を出せず、大乱調となった。
同27日の西部ガス戦でも7回から登板し、1回を被安打3、四死球2で3失点。四死球で自滅し、走者を出した後、ストライクを取りに行こうとした力のない球を痛打されるという、制球力がない投手の典型的なパターンを繰り返した。
「島袋が出てくると試合が長くなる」。
球場を訪れるホークスファンでさえ、こう揶揄したほどだ。
左腕が不調を感じ始めたのはプロに入ってからではない。沖縄・興南高時代の2010年、春夏の甲子園を連覇。身長172センチと小柄ながらもその豪腕ぶりに、プロも注目する逸材だったが「まだプロに行く自信がない」と中央大進学を決めた。大学1年時は、春のリーグ戦で中大新人として48年ぶりの開幕投手を務めた。
だが、2年で左肘痛を経験。そして、3年ごろから「投げる際に上半身と下半身のバランスが少しずつ悪くなっていった」ことで、思い通りにボールが指にかかる感覚が少なくなったという。
「悪くなると考えすぎて、それがまたマイナスに作用する。悪循環でしたね」。
立て直せないまま迎えた4年生時のドラフト会議。5位で指名された後、号泣したのは幼少の頃からの夢だったプロ野球選手になれた喜びが理由でもあった。同時に自分はやっていけるのかという不安もあったという。
数年間感じていた不調だが、入団後は
入来祐作、
佐久本昌広両3軍投手コーチにバランスの悪さやリリースポイントのずれなどを修正され、復調の道をたどっている。
「誠実にアドバイスに耳を傾け、それを必死に試そうとする。それが結果に表れだした」。
入来コーチは真摯な姿勢に目を細める。 調子の良さは左腕のある部分に指標として出ているという。
「悪いときは人差し指の内側にボールがかかっていたんです。だから自然と投げる球がスライダー回転し、ボールを操れなかった。でも、5月の終わりごろから、外側にしっかりかかるようになった。そうなるといい球がいく」。
春先は人差し指の内側の皮膚が硬くなっていたが、現在は外側が堅くなっていると、左腕は嬉しそうに説明する。
確実に成長を見せている島袋だが、層の厚いソフトバンクですぐに1軍昇格というわけにはいかない。パリーグ首位を走る1軍はもちろん、2軍も先発は今季1軍でも先発した岩崎、ベテラン帆足ら実績がある選手が名を連ねる。中継ぎも豊富だ。
「今は自分でどこを投げたいなんて言える立場ではない。まずはどんな形でもいいから早く1軍に上がりたい。そのためにはまず3軍、そして2軍で着実に結果を出していきたいですね」。
かつて甲子園を席巻した琉球トルネード。旋風を再び起こすためにも、まずは厳しいチーム内競争を勝ち抜かなければいけない。