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トレード物語

【トレード物語20】阪神が大損したトレード【1992年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

ベテラン打者とドライチ右腕


阪神の在籍はわずか1年だった松永


[1992年オフ]
オリックス松永浩美⇔阪神・野田浩司

 1995年の日本シリーズ、ヤクルト対オリックス戦を観戦していた阪神ファンが、試合そっちのけで「タイガースは何をやっているのや」と叫んだという逸話がある。

 投げているのはオリックスのエース・野田浩司。打席にいるのはヤクルトの四番・オマリー。その年、阪神は惨たんたる成績(46勝84敗、勝率.354。首位・ヤクルトと36ゲーム差の最下位)だったから、かつて阪神の投打の中心だった2人がチームを移って、晴れの日本シリーズで生き生きと動き回っているのが悔しくて「いったい球団は何を考えてトレードをやってるのや」ということになったのだった。

 野田が阪神からオリックスに移ったのが93年。松永浩美との1対1の交換。阪神首脳はオマリー、パチョレックが中心の打線に、台頭してきた新庄剛志と組んで打線を引っ張るベテラン日本人打者が欲しかった。それが阪急、オリックスで何度も打率3割以上をマーク、長打力もあり、盗塁王にもなった脚力の持ち主、松永だった。

 88年にドラフト1位で入団した野田は3勝、5勝、11勝、8勝、8勝。素晴らしいキレ味を見せはするのだが、いまひとつ圧倒的な勝利に結びつかない。もう5年も過ぎた。“これ以上、大きく伸びることはあるまい”という判断があった。

野田は新天地で最多勝


オリックスで能力が開花した野田


 92年末にトレードが成立。オリックス・井箟重慶代表は「ウチの課題は投手だった。松永を出すのは球団にとっても痛手だが、双方にプラスになると判断した」と語った。

 野田も「知っている土地だし不安はない。一日も早く“オリックスの野田”と呼ばれるようになりたいですね。パ・リーグは打席に立たなくてもいいし、打撃練習もしなくていいからピッチングに集中できそうです」と前向きな表情を見せた。

 一方、阪神・中村勝広監督も松永に関して「これ以上ない頼もしい選手。優勝という悲願達成のために、大車輪の活躍をしてほしい。最後、勝てるかどうかは彼次第」と最大級の賛辞を送った。松永も「優勝のために全力を尽くす」と宣言したのだが……。

 野田は新天地で見違えるようなピッチングを披露した。移籍1年目、パの打者をキリキリ舞いにして17勝を挙げ、最多勝を獲得。さらに続けて94、95年と2ケタ勝利をマークした。

 松永も一番として3試合連続の初回先頭打者本塁打を放つなど輝きを見せたが、故障続きの体が言うこと聞かなくなる。結局、移籍1年目はわずか80試合の出場(打率.294、8本塁打)に終わる。さらにオフにFA権を行使して、ダイエーへと去ってしまった。

 まさに、阪神にとって、踏んだり蹴ったりのトレードとなった。
 
写真=BBM
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