2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 中カラー見開きは『小さき大遊撃手』
表紙は西鉄・中西太。黒バックで迫力満点
今回は『1958年12月10日号』。創刊第35号で定価30円。中カラー見開きは『小さき大遊撃手』と題し、
阪神・
吉田義男、阪急・
本屋敷錦吾。ともに身長170センチに満たぬ小兵だが、華麗な守備で日米野球で来日していたカージナルスの選手たちをうならせた。
本文巻頭は『悩める
巨人と阪神〜水原・川上・田宮の腹の中』。もめていた
水原円裕監督の留任は決まったが、引退表明後、いまだ球団との話し合いに応じず、禅寺で修行する
川上哲治に対しては、品川主計球団社長が「川上君には第一線から退いてもらいたいと思っている。彼(川上)がいると、ほかの選手が使えない」と何やらきな臭いコメントをしている。
一方、阪神では首位打者となった
田宮謙次郎が移籍の自由があるA級10年選手となり、大争奪戦となっていた。田宮自身は残留を希望しているが、阪神が他球団の条件待ちもあってか、なかなか条件を提示しなかったことで、徐々に混迷を深めていたようだ。
恒例の座談会は『さよなら!ニッポン〜カージナルス送別座談会』として巨人・
長嶋茂雄、大毎・
荒巻淳、カージナルスのスタン・ミュージアル、ケン・ボイヤーが出席。なおカージナルスは日本16試合を行い、14勝2敗だったようだ。
その中で出席者ではないが、ブラッシンゲームについての荒巻の言葉が興味深い。抜粋しよう。
荒巻 あれは1つの曲芸だものね。ぼく一番ビックリしたのはね、山内がライト前にヒットを打ったときかな。ライトがそれを後逸したら、それを追っかけて捕っているのは二塁のブラッシンゲームなんだね。セカンドがいつの間にかライトの後ろに行ってる。あれにはびっくりしたよ。
全球カバーに行っていたのか、どうかは分からないが、驚異的だ。長嶋も鮮やかなダブルプレーに触れ、「ほんと手品だと思いましたね」と語っている。
のち南海に入団し、引退後コーチ、監督も務めた
ブレイザーだ。
野村克也兼任監督とともに“シンキングベースボール”で球界に革命を起こした男らしい逸話である。
スカウト戦線では『スカウトを手玉に取った板東〜すべての人を煙に巻いた板東投手の周囲とは…』という記事もあった。徳島商高の
板東英二である。甲子園を沸かせた怪腕として注目されていたが、家族、親族、学校関係者の思惑がグチャグチャに絡み合って、いまだ入団が決まっていなかったのだ。
記事中の条件をうのみにはできないが、国鉄が700万円、阪神が1600万円、
中日が1800万円、
広島が2000万円とある。巨人が入っていないのは、板東の叔父が巨人、中日に「進路について親族会議を開くからぜひ来てほしい」と手紙を出し、品川主計球団社長が「ナマイキを言うな」と激怒したためだという。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM