いよいよ第100回の大きな節目を迎える夏の甲子園。その歴史にこそ届かないが、80年を超えるプロ野球を彩ってきた選手たちによる出身地別のドリームチームを編成してみた。優勝旗が翻るのは、どの都道府県か……? 二塁の名手と三塁の強打者
県庁所在地である松山市と、日本最古の温泉とも言われる道後温泉は夏目漱石『坊っちゃん』の舞台となり、正岡子規らの俳人を輩出するなど文学と縁が深い愛媛県。野球とのかかわりも古く、明治20年代に愛媛県へ野球を持ち込んだのが子規だった。
プロ野球界にも草創期から多くの名選手を送り込み、戦前の選手だけでオーダーを組めそうなほど。指導者でも
巨人の監督として第1期黄金時代を築き、戦後は
阪神をセ・リーグ初優勝に導いた藤本定義や、その阪神(当時はタイガース)の初代監督を務めた
森茂雄らがいる。
【愛媛ドリームチーム】
一(一)
藤原満(南海)
二(二)
千葉茂(巨人)
三(三)
岩村明憲(
ヤクルトほか)
四(右)景浦将(タイガース)
五(左)
森本潔(阪急ほか)
六(遊)
河埜和正(巨人)
七(中)
河埜敬幸(南海)
八(捕)
谷本稔(大映ほか)
九(投)
西本聖(巨人ほか)
巨人、阪神という伝統の2チームを彩った名選手が目立つ。打線だけでなく、投手陣でも中心になりそうなのが景浦将。投手として最優秀防御率に輝いただけでなく、打っても首位打者1度、打点王2度の元祖“二刀流”で、猛虎の誇るレジェンドだ。阪神の創設メンバーでは初代の背番号1でもある三塁手の
伊賀上良平もいる。
巨人も負けていない。松山商の後輩で、“花の(昭和)13年組”として入団した千葉茂が、ここでも「二番・二塁」に。遊撃には80年代に内野陣のリーダーとして巨人を支えた河埜和正で、打順は六番。続く七番には弟の河埜敬幸で、時空を超えた巨人の二遊間と、打順に兄弟が並ぶ布陣としてみた。ともに守備の名手だったが、本職は二塁手だった弟の敬幸は、ここでも実際と同様に外野へコンバート。二塁手では
水口栄二(近鉄ほか)も愛媛県出身だ。
二塁に名手が、三塁に強打者が重なる一方で、一塁手と外野手が少ない。ここではメジャーでも活躍した岩村明憲を三塁に残した。同じく三塁が多かったヒットメーカーの藤原満は27試合の経験がある一塁へ。三塁手として阪急黄金時代を支えた森本潔が、1試合だけ守ったことがある左翼へ回った。岩村も中堅の経験があるが、ここでは攻守交代における守備位置への全力疾走でも魅せた河埜敬幸を外野の要に据えた。
藤原から巧打の千葉、フルスイングの岩村に景浦が続く打線に切れ目はない。八番に入った司令塔の谷本稔は、55年にプロ野球で初めて高卒新人として開幕戦でスタメンマスクをかぶった強打の捕手。
あえて控えに温存したのが“世界の代打男”
高井保弘(阪急)だ。一塁を守れる貴重な存在でもあるが、外野手では
重松省三(大洋)や現役の
鵜久森淳志(ヤクルト)もいて、やはり代打として勝負強さを発揮。早めの代打攻勢でも守備が大きく崩れることもなさそうだ。
GTのエースにDの左腕エース

巨人・西本聖
愛媛県のエースといえば真っ先に
藤田元司(巨人)が思い浮かぶが、“悲運のエース”と呼ばれた藤田の一方で、大舞台には燃えに燃えた“勝負強さ”で西本聖をエースに。実際は監督と選手という関係だったが、ここでは右の二枚看板だ。
制球力が光った
渡辺省三(阪神)や16歳でプロ入りした
古沢憲司(阪神ほか)ら猛虎たちも負けていない。
左腕エースは99年MVPの
野口茂樹(
中日)。セットアッパーで
佐野慈紀(佐野重樹。近鉄ほか)、クローザーでは
平井正史(
オリックスほか)もいる。これに景浦も加われば投手陣も盤石。投打ともに短期決戦では特に力を発揮しそうだ。
写真=BBM