長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 資金集めに奔走した指揮官

石本監督が後援会づくりに奔走している最中、本拠地正面入り口に2つの四斗だるが置かれた。これが中国新聞野球部員発案の「たる募金」
広島が球団創設1年目のシーズンを乗り切り、2年目を迎えようとしていた1951年だが、給料の遅れ、連盟への加盟金未払いといった金銭問題が山積していた。身売り、他球団への吸収合併も検討されたほどの窮状だった。
そこで妙案を思いついたのが石本秀一監督だ。「後援会」発足に尽力するため、チームの指揮は
白石勝巳助監督に一任した。
「私は資金集めに奔走する。まず、県下を回り、カープの置かれている現状を報告したい」
石本は各地で報告会を開き、その場で後援会の会員を募った。その会員から幾ばくかの金を毎年集める構想である。
その後援会の正式発足は51年7月29日。会員は1万3千人まで膨れ上がっていた。この年、2年連続の最下位に終わるが、公式戦収入500万円、後援会支援金400万円、本拠地・広島総合球場純益500万円で収入は1400万円。支出は給料、遠征費、合宿費、諸雑費で1270万円。130万円の黒字となり、「球界の七不思議」と言われた。
後援会の支援金がいかに大きかったかが分かる。この後援会、全盛期には3万6千人近くいたとされ、67年に経営が東洋工業に一本化されるまで、重要な資金源となった。
写真=BBM