背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 20世紀の右腕エースたち
「20」といえば、中日のエースナンバー。
杉下茂が印象を築き、
権藤博が鮮烈かつ苛烈なデビューで継承、その後も星野仙一、
小松辰雄ら先発にも救援にも投げまくった右腕がエースナンバーとしての地位を確固たるものとした。その「20」も2017年に
野村亮介が着けていたのを最後に空席が続く。来年は2020年。「20」が並ぶシーズンまでには、その後継者に登場してもらいたいところだ。
中日と似た系譜となっているのが
ロッテ。中日を引退した杉下が1年だけ大毎で現役に復帰して「20」を着けて以降は、
木樽正明らエース級の右腕が並ぶようになる。
ほかのチームにも、かつては右の好投手が多かった。印象も実績も抜群なのは20世紀最後の200勝投手となった
広島の
北別府学だろう。2チームで北別府と同じ19年間「20」を着け続けたのが
石井茂雄。低迷する南海には
山内新一がいた。“黒い霧”に呑み込まれた西鉄の
池永正明も「20」だ。故障のため活躍した期間は短かったものの、高速スライダーを駆使した
ヤクルトの
伊藤智仁も印象深い。
投手でも阪急の
白石静生ら左腕は少ない。圧倒的多数の右腕では、20世紀の最終盤に中日で
宣銅烈が「20」を受け継いでからは、ロッテの
薮田安彦や2チームで「20」を着けた
豊田清ら救援投手が多くなる。
【12球団・主な歴代「20」】
巨人 成田友三郎、
大友工(工司)、
定岡正二、
入来祐作、
マシソン☆
阪神 西村一孔、
辻恭彦、伊藤弘利(宏光、文隆)、
郭李建夫、
ロサリオ 中日 杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰雄、宣銅烈
オリックス 中田武夫、石井茂雄、白石静生、
寺原隼人、
近藤大亮☆
ソフトバンク 中谷信夫、山内新一、
藤本修二、寺原隼人、
甲斐野央☆(2019年〜)
日本ハム 北川桂太郎、
宮崎昭二、
矢野諭、
糸数敬作、
上原健太☆
ロッテ 杉下茂、木樽正明、
仁科時成、薮田安彦、
東條大樹☆
DeNA 椙本勝、
島田源太郎、
相川英明、
木塚敦志、
須田幸太 西武 西村貞朗、池永正明、豊田清、
野上亮磨、
高木勇人☆
広島
渡辺信義、
河村英文(久文)、
西本明和、北別府学、
永川勝浩☆
ヤクルト
中本茂樹、伊藤智仁、
鎌田祐哉、
山本哲哉、
近藤一樹☆(2019年〜)
楽天 谷中真二、
長谷部康平、
ユーキリス、
安樂智大☆
(☆は2019年)
巨人の系譜には助っ人が並ぶ
ノーヒットノーランを達成した右腕も多い。52年に巨人の大友工(工司)が達成したのを皮切りに、55年には杉下が1四球のみの準完全試合、58年には西鉄の西村貞朗が完全試合、60年には大洋の島田源太郎が最年少20歳351日で完全試合を達成している。
また、ロッテの仁科時成は1安打完封が3度、うち2度は9回二死から初安打を浴びたもの。巨人の定岡正二は先頭打者の1安打のみで、その後は27人で抑える快投を演じた。
その巨人は「20」の系譜では異色で、定岡から
サンチェ、ガリクソンといった助っ人右腕がリレー。現在はセットアッパーのマシソンが受け継いでいる。この「20」を2年だけ着けた助っ人が近鉄“いてまえ打線”での活躍も印象に残る長距離砲のローズだ。来日1年目の近鉄から巨人を退団するまでの10年間「20」を背負い続け、両リーグで本塁打王に輝いた。系譜をさかのぼると、草創期にチーム初の満塁本塁打を放ったリベラがいる。プロ野球史上唯一のフィリピン人選手だ。
写真=BBM