背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 左のヒットメーカー
四柱推命では、鶏群の一鶴、を意味するという「41」。鶏の群れの中に一羽の鶴がいる、つまり、凡人の中に1人だけ優れた人物がいる、ということのようだが、これで1976年に「14」をひっくり返して「41」となって初めて打率3割を超え、それどころか6糸という僅差で首位打者に輝いたのが中日の谷沢健一だ。
中日新聞の会長に入団時から背番号の変更を勧められていたという谷沢。成績が頭打ちとなり、気分転換を図っていた75年の契約更改で再び会長から変更を勧められるが、会長から提案があった番号は3ケタばかり。京都のお坊さんに相談したところ、冒頭の意味から「41」を勧められたという。確かに「41」の系譜を見渡すと、投打にわたって“鶴”が群れを成しているようだ。
中日では
高木守道が若手時代に着けていた番号でもあった「41」。谷沢と同時期に
ヤクルトでは
角富士夫の出世ナンバーに。その初代は1年だけ着けた
大久保英男で、やはり「9」へと“昇格”して正遊撃手となった。その後継者となったのが
稲葉篤紀だ。谷沢と同様に左のヒットメーカーで、FAで移籍した
日本ハムでも1年目を除いて「41」を背負い続け、通算2000安打にも到達。左の好打者というイメージを「41」に定着させたと言えるだろう。ヤクルトで稲葉の後継者となった
雄平(高井雄平)も左のヒットメーカーだ。
【12球団・主な歴代「41」】
巨人 岩下守道、
矢沢正、
杉山茂、
斎藤雅樹、
中川皓太☆
阪神 鎌田実、
川尻哲郎、
伊良部秀輝、
上園啓史、
高橋聡文☆
中日 谷沢健一、
鳥越裕介、
朝倉健太、
浅尾拓也、
勝野昌慶☆(2019年〜)
オリックス 野々村寛、
永井進、
松井満、
高橋功一、
小瀬浩之 ソフトバンク 立石充男、
青井要、
倉野信次、
岩嵜翔、
千賀滉大☆
日本ハム
白仁天、
江田幸一、小牧優一、稲葉篤紀、
ロドリゲス☆
ロッテ 山根俊英、
山田正雄、
小林宏之(
小林宏)、
小林敦、
成田翔☆
DeNA 沖山光利、
青木秀夫、
加藤将斗、
大原慎司、
櫻井周斗☆
西武 浦田直治、
渡辺久信、
鳥谷部健一、
木村文和(文紀)、
相内誠☆
広島 高岡重樹、
守岡茂樹、
山中潔、
木村拓也、
藤井皓哉☆
ヤクルト 大久保英男、角富士夫、
杉村繁、稲葉篤紀、高井雄平(雄平)☆
楽天 星野おさむ、
青山浩二☆
(☆は2019年)
多彩な右の好投手

巨人・斎藤雅樹
中日の「41」は谷沢から朝倉健太を経て浅尾拓也が継承。2011年にはセットアッパーとして初めてMVPに輝いて新たな印象を築いたが、他のチームでも「41」の好投手、特に右腕は少なくない。
谷沢と入れ替わるようにセ・リーグで「41」を輝かせたのが巨人の斎藤雅樹。89年に20勝を挙げて投手2冠、沢村賞を獲得して翌90年に「11」へと“昇格”していったが、ほぼ同時期にパ・リーグで覇を唱えていた西武で一貫して「41」を背負い続けて3度の最多勝に輝いたのが“ナベQ”渡辺久信だ。
21世紀に入ってパ・リーグの盟主の座を西武から奪った印象もあるソフトバンクでは岩嵜翔、千賀滉大ら好右腕がリレー。また、伊良部秀輝が阪神で、
木田優夫がヤクルトで、ともにメジャーから復帰した右腕が短期間ながら着けたナンバーでもある。
現役で伊良部の後継者となった高橋聡文も浅尾と同様のリリーバー。千賀の活躍でスターターの印象も強くなっている「41」を、再びリリーバーの背で輝かせることができるか。
写真=BBM