背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 巨人の明と暗
巨人の3代目は
馬場正平。のちにジャイアント馬場としてプロレス界で一時代を築いた男だ。20世紀の最後に巨人の「59」を着けていたのがガルベスで、
長嶋茂雄監督が剛球に惚れ込んで「59(ごうきゅう)」を与えたもの。目を血走らせて厳しく内角を攻め、1年目の1996年から危険球に激怒した
中日の
山崎武司と乱闘を演じ、98年には降板の際に審判へ“剛球”を投じる前代未聞の事件を起こして無期限の出場停止に(のち解除)。
一方、「9回をピシャリと抑えるのがクローザーなら、悪い流れを断ち切るのがストッパー。そういう投手になりたい」と剛球を投げ込んだのが、ガルベスの前にいた
石毛博史。復帰したばかりの長嶋監督が名づけた“勝利の方程式”を完成させた右の“ストッパー”だ。
さかのぼると、イースタン史上初の“4冠王”となりながらも一軍には定着できず、
ロッテ移籍で俊足の外野手として大成した
庄司智久もいる。だが、2018年に
柿澤貴裕が不祥事を起こして解雇されると、ふたたび巨人の「59」に暗雲が漂う。育成から支配下登録を勝ち取り、その後継者となったのが
松原聖弥。馬場や石毛らがつないだアスリートの魂を“育成の星”としてよみがえらせる。
【12球団・主な歴代「59」】
巨人 馬場正平、庄司智久、石毛博史、ガルベス、松原聖弥☆(2018年シーズン途中~)
阪神 岡本良、
加納茂徳、
ダーウィン、
岩本輝、
小宮山慎二☆
中日 瀬在文三、
小川健太郎、
上川誠二、
大場翔太、
山本拓実☆
オリックス 森本潔、
田中彰、
小浜裕一、
塚原頌平、
根本薫☆
ソフトバンク 山本多聞、
山本和範、
西清孝、
笹川隆、
古澤勝吾、
水谷瞬☆(2019年~)
日本ハム 荻原修、
木村拓也、
桜井幸博(櫻井幸博)、
金森敬之、
吉田侑樹☆
ロッテ
土居章助、
佐々木信行、
青柳進、
岸川登俊、
細谷圭☆
DeNA 山根俊英(監督代行ほか)、
山崎賢一、
相川亮二、
黒羽根利規、
平良拳太郎☆
西武 玉木春雄、
水田圭介、
岡本篤志、
永江恭平、
南川忠亮☆
広島 羽里功、
ペルドモ、
山本芳彦、
美間優槻、
菊池保則☆(2019年~)
ヤクルト 渡辺稔、
西岡三四郎、
玄岡正充、
今浪隆博、
大村孟☆
楽天 入野久彦、
富岡久貴、菊池保則
(☆は2019年)
異色すぎる個性派も
東映を退団して8年間の“浪人”を経て中日で復帰、1年だけ「59」を背負い、のちに成功したのが小川健太郎。巨人の
王貞治への“背面投げ”で知られるが、オートレースの八百長疑惑で逮捕されて永久追放に。
近鉄を戦力外となってバッティングセンターで働き、南海で復帰して同じく1年だけ着けたのが山本和範。「ドラキュラに似ている」と言われて“ドラ”と呼ばれたが、小川と異なり最後までアグレッシブな現役生活をまっとうした。
DeNAは打者の出世番号と言える貴重な系譜。支配下選手枠が60人だった85年に「59」へと“降格”となって「もう後がない」と奮起したのが“初代番長”山崎賢一だ。21世紀に入ると相川亮二が「59」で頭角を現して「8」の正捕手となり、黒羽根利規に継承される捕手の系譜となっていた。
打者の出世頭と言えるのは阪急の黄金時代に貢献した森本潔。3年目まで「59」を背負い、パーマの長髪に口ヒゲとサングラスという風貌で“球界の異端児”と呼ばれた強打の三塁手だ。
写真=BBM