昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 バッキーのやめるやめる詐欺?
今回は『1967年9月4日号』。定価は60円。
1967年8月16日、大洋の新人・
平松政次が「予告先発」。平日夜、川崎球場の
広島戦は、通常なら5000人程度らしいが、この日は平松見たさに1万2000人が集まった。
結果は5回を投げ、1失点。まずは合格点だ。
「気持ちの上ではあがっていないと思ったんですが、プレートに立つとヒザがコチコチでした。腰の回転が効かず、カーブが決まらなかったので苦しかったですよ」
何となく、いまの解説者としてのコメントとだぶる。
甘いマスクと甲子園での活躍もあって高校時代から女性人気が高く、当時はファンレターが1日50通ほど来たという。
8月1日に休養から復帰した東京・
戸倉勝城監督だったが、15日になって辞任会見があった。不成績の責任を取って本人が辞意を、とはいうが、復帰後、5勝6敗。事実上、クビでは、と言われていた。
成績不振で同年限りの退任は既定路線だったが、11日の南海戦(大阪)でドラフト1位(二次)の
八木沢荘六を一軍初先発させたのに対し、永田雅一オーナーが、
「なぜ大阪くんだりで八木沢を先発させるんだ。八木沢はうちの看板だぞ。ファンの要望に応える意味でも、本拠地東京スタジアムで投げさせろと、あれほど言ったのが分からなかったのか」
と激怒したのが決定打だったらしい。
後任は休養中代理監督をした
濃人渉が就く。
何度か話題にしたスカウトを全員クビにした近鉄のスカウト戦略だが、芥田武夫球団社長のつてで地方の情報網は確立できた、とあった。
加えて、7月24日には、あらたに「三軍制」を敷くと発表があった。
いわゆる入団テストなのだが、条件は身長170センチ、体重65キロ以上、遠投70メートル以上、100メートル12秒以内。ただ、野球経験は一切問わないという。
さらに筆記試験、ソロバン試験を行い、合格者が1週間の合宿生活を行い、そこでコーチが最終判断するらしい。
すぐに一軍ではなく、3年間はみっちり鍛えてから、という構想だ。育成みたいなイメージか。
合格者の採用は翌年4月からで、その間にあるドラフト会議で他球団から指名されても止めない、という。
藤本定義監督の起用法に怒り、
阪神・バッキーが退団表明。
だが、ほとんどの新聞では、それをまったく扱わなかった。忖度したわけではない。
バッキーという男、何度となく同様の発言を繰り返していた。いわゆる“やめるやめる詐欺”というやつだ。
一昨年暮れには契約でもめ、「もう来年は日本へこない。お別れだ」と捨て台詞を残し帰国しながら翌年春には何事もなかったかのように来日した。
藤本監督も心得たものだ。
「バッキーがやめるんやって? へぇー、そうか。やめたけりゃやめればええんや。ワシはバッキーがやめようが、どうしようが痛くもかゆくもないわ。自分の好きなほうにすればいい」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM