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ドラフト予想史

逆指名制度によりドラフト会議ではなく事前交渉こそが戦場に/平成ドラフト予想史【平成11、12年】

 

1位、2位ともに3球団が競合


 王貞治監督の率いるダイエーが初優勝、日本一に輝いた平成11年、1999年。20世紀最後の入団選手を決めるドラフトだったが、前年は高校生に横浜高の松坂大輔、大学生には大体大の上原浩治ら“超大物”がいて、それぞれ西武巨人で大活躍したこともあってか、予想は過熱せず。むしろ、日本一のダイエーでMVPに輝いてFAを宣言した工藤公康の去就に話題が集まっていた。

【1999年・12球団ドラフト1位指名】
阪神    的場寛壱
近鉄    河内貴哉宮本大輔
広島    河内貴哉
日本ハム  正田樹
ヤクルト  野口祥順
ロッテ   高橋薫
横浜    田中一徳
オリックス 山口和男
巨人    高橋尚成
西武    高山久
中日    河内貴哉→朝倉健太
ダイエー  田中総司
(→は外れ1位)

 1位で国学院久我山高の河内貴哉に近鉄、広島、中日の3球団が競合。交渉権を獲得した広島の達川光男監督は懐からラッキーストライクを取り出して会場を沸かせ、意中の球団を中日としていた河内も「喜んで広島にお世話になりたい」と入団を決めた。

 さらに、2位でも東福岡高の田中賢介に日本ハム、中日、西武の3球団が競合。1位で桐生第一高の正田樹を単独指名で獲得に成功した日本ハムは、就任したばかりの大島康徳監督が田中の交渉権も獲得。その現役時代の古巣でもある中日は、1位、2位と連続でクジを外しただけでなく、1位で東邦高の朝倉健太、2位で延岡学園高の宮本大輔と再提出したが、同じく再提出の近鉄が宮本を1位で指名したことで、再度2位を選び直すことに。結局、3位までで早々に指名を打ち切った。

4年ぶり抽選なしも内海は入団拒否


オリックスに1位指名された内海だが結局、入団せず


 21世紀最初の入団選手を決める20世紀最後のドラフトとなった平成12年、2000年のドラフトは、4年ぶりに抽選なし。逆指名制度8年目、ドラフト会議ではなく、事前交渉こそが戦場に。高校生では大分工高の内川聖一、大学生では中大の阿部慎之助ら大物はいたが、予想も盛り上がらなかった。

【2000年・12球団ドラフト1位指名】
近鉄    山本省吾
阪神    藤田太陽
ロッテ   田中良平
広島    横松寿一
オリックス 内海哲也×
ヤクルト  平本学
日本ハム  井場友和
横浜    内川聖一
西武    大沼幸二
中日    中里篤史
ダイエー  山村路直
巨人    阿部慎之助
(×は入団拒否)

 だが、巨人でなければ社会人と公言していた敦賀気比高の内海哲也をオリックスが1位で指名。指名の直後には仰木彬監督から直々に電話でラブコールを送られ、内海も態度を軟化させたものの、入団には至らず。内海は3年後の指名を待つことになった。

写真=BBM
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