昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 森永と東映が業務提携?
今回は『1969年3月3日特大号』。定価は80円。
この連載をお読みの方ならご存知と思うが、「グローバル・リーグ」の記事が出てきた。
元阪神・
田中義雄(日系人)が監督、元巨人の
古賀英彦をコーチに、グローバル・リーグの日本チームを結成。1969年2月14、15日に選手選考が行われ、元巨人・
矢ノ浦国満ら14人との契約を完了した。
チームは3月15日までに渡米し、フロリダ州でキャンプを行い、4月から6カ月にわたって、アメリカ、中南米で公式戦を行うことになっている。
第2の大リーグと宣言し結成されたグローバル・リーグの発起人は、シカゴで不動産会社を経営するウォルター・デルベック氏。前年秋にはリーグ関係者が来日し、日本のプロ野球関係者に協力を求めたが、日本側はメジャーへの遠慮もあって、やんわり断った。
グローバル側からの話では、参加チームはアメリカ3、日本、ベネズエラ、メキシコ各1チームで、アメリカチームにはドン・ラーセンら、元メジャー・リーガーが多数加入予定とあった(プロレスのUWF結成時みたいな話だ)。
1月に入り、デルベック氏から田中義雄のもとに「チームづくりを急いでほしい」と連絡があり、田中はデルベック氏の日本側代理人ジョージ吉永に、
「チームは何とかするが、選手に誠意を示すため日本の銀行の8万5000ドルを振り込んでくれ」と要求した。当時の換算では3060万円だ。
田中はすぐ選手集めに走ったが、プロも社会人も協力しないという状況の中、12球団に連絡を取り、前年暮れ自由契約になった選手たちのリストをもらって勧誘。14人の選手と契約したという流れだ(以下、またのちの号で)。
日本球界に話を移すが、森永製菓が東映と業務提携するのでは、という話があった。
ロッテが東京、
ヤクルトがサンケイと提携し、それだけでかなりの宣伝効果、イメージアップがあったことで、関心を示した、とある。
ただ、よく読むと、森永が東映に話を持ち掛けたのではなく、後楽園球場が、そうなってほしいと広めた話のようだ。
東映は巨人とともに後楽園を本拠地として借りているが(巨人側からは微妙な言い方だが、ひとまず)、巨人の集客増で後楽園がどんどんスタンドを拡張しているものの、東映はまったく集客が伸びず、ガラガラ状態がさらにひどくなっていた。
後楽園としては外野フェンスの広告でつながりのある森永と東映をドッキングさせ、何とか人気球団にできないかと思ったらしい。合併を勧めたがる銀行みたいな話だ。
また、横浜では飛鳥田市長が平和球場の大改装を行い、プロ野球球団を誘致するプランを持っていた。
話が細切れで失礼。
東京では新人で、100メートルの日本記録保持者・
飯島秀雄が大人気となっていた。指宿キャンプを訪れた永田雅一オーナーは、
「今年は希望じゃなく、優勝できると信じ込んでいるんだ。巨人をたたいて日本一になれ。ワシは口は出さぬが、飯島を全試合に出せ、これは至上命令だ」
すでに口を出しているような、いないような。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM