
明治神宮野球大会で47年ぶりに決勝へ進出した関大。慶大に0対8で敗れ、惜しくも2度目の優勝はならなかったが、健闘が光った
■明治神宮大会「決勝」
慶大8対0関大=11月20日(神宮)
1970年に始まった明治神宮野球大会は2019年、節目の第50回記念大会を迎えた。
第3回大会(1972年)の優勝投手は関大・
山口高志(元阪急)である。春の全日本大学選手権も制しており、大学球界初の4冠(春・秋のリーグ戦を含む)へと導いたレジェンド右腕だ。なお、この明治神宮大会の2回戦では、大会史上2人目のノーヒットノーランを遂げている。その相手は、慶大だった。
山口氏は2016年から母校野球部のアドバイザリースタッフを歴任。就任から2年連続で明治神宮大会へ駒を進めるが、いずれも初戦敗退を喫した。2年ぶり7回目の出場となった今大会、金沢学院大との初戦(2回戦)を突破して47年ぶりの大会白星。東海大との準決勝は延長10回タイブレークで勝ち上がり、47年ぶりの決勝へ進出している。
エース・山口氏以来の頂上決戦。しかも、相手の慶大も、47年ぶりの顔合わせである。慶大の先発左腕・
高橋佑樹(4年・川越東高)に関大打線は封じられ、7回まで一人の走者も出せない。つまり、完全試合の危機を迎えていた。ネット裏で観戦する山口氏の表情も険しくなるばかり。「まだ、終わっていませんから……」と、攻撃陣の奮起に期待していた。
8回の先頭打者が初安打。記録こそ阻止したが、3安打完封負け(0対8)と、見せ場を作ることができなかった。
「しっぺ返し食らうところでした……」と、山口氏は試合後に苦笑いを浮かべた後、後輩たちに労いの言葉をかけている。
「終わってみて『ありがとう』の一言ですね。今年のチームは私が携わって4年目で、一番弱いと思っていましたが、4回生を中心に、チームの合言葉『一丸突破』でここまできた。私の予想を裏切ってくれた。うれしかった」
しかし、長年、厳しいプロの世界で生きてきた山口氏である。叱咤激励も忘れない。
慶大との差は、どこにあったのか?
「すべての面でレベルアップが必要。慶應に比べると体の強さが劣っている。強い体があって、強い心があって、次に技術ですから」
47年ぶり2度目の優勝を逃したが、神宮の大舞台を経験したことで、山口氏は「選手たちは、次の目標が明確になったと思う」と今大会の成果を語る。そして、こう続けた。
「関大が大学選手権で活躍する姿を見たい」
6月の全日本大学選手権出場は1995年以来遠ざかる。つまり、春の関西学生リーグ優勝は25年のブランクがあるのだ。
創部1915年の伝統校。今秋の明治神宮大会準優勝は古豪・関大の完全復活への契機となったはず。冬場のテーマははっきりしている。全国レベルを勝ち上がるための「肉体改造」に、まずは時間を割いていく。
文=岡本朋祐 写真=BBM