一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 村山よ、来年は200イニングを!

村山の71年は7勝5敗だった
今回は『1971年11月15日号』。定価は90円。
このオフ、コーチの復帰組が増えていた(まだ正式ではないものも多いが)。大洋・
青田昇(評論家から)、
中日・
近藤貞雄(
ロッテコーチから)などが代表的な顔ぶれだが、そのうち、
阪神のヘッドコーチには
金田正泰が就いた。
「まさかもう一度タイガースのユニフォームを着ようとは思わなかった。若い村山(実)監督を助けて猛虎を復活させたい」
金田は60年に阪神監督となり、61年途中退任している。監督の時期は
村山実、
吉田義男ら個性派選手の扱いにずいぶん苦労したようだ。
村山監督も、
「金田さんが監督時代、私はわがままをしたが、それはそれとしてタイガースを強くすることに変わりはない。金田さんも気が強いし、私もまた強気。この強気で来季こそと話している」
これは“投手村山ファン”でもあった阪神の野田オーナーが、71年、村山の登板が19試合と少なかったことを問題視し、「来年は少なくとも200イニングは投げなさい」と厳命。重鎮のヘッドコーチが必要となって白羽の矢が立ったものだ。
金田の阪神愛は強烈であり、雑談の中で阪神の悪口が出ると顔を真っ赤にして反論したという。一部で仲が不安視された金田と村山だが、ともに元監督の藤本定義への反発組と言われていた。
そういえば、本誌の連載「キャッチャーはつらいよ」の
辻恭彦さんが、この年全試合出場。2リーグ制後、捕手で全試合出場は10人目でセでは初。最多は、これも本誌で長く連載いただいた南海の
野村克也さんで5回。うち63年は150試合制で全回出場も果たしている。これはすごい。
巨人では湯口敏彦が体調を狂わせ、10キロ近く体重が減ったという。周囲は「恋煩いでは」と呑気な話をしていたようだが、その先を知るだけに心配だ。
では、また月曜に。
きょう土曜なのを忘れており、原稿を書いてしまったのでアップします。
<次回に続く>
写真=BBM