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プロ野球20世紀・不屈の物語

若き落合博満が「高度すぎて理解できなかった」打撃理論。“かっぱえびせん”の現役時代/プロ野球20世紀・不屈の物語【1952〜70年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

青田から山内、そして落合へ


ロッテ監督時代の山内。打撃コーチとしては“教え魔”だった


 ロッテでの若手時代に落合博満が「私には教えていただかなくても結構です」と指導を拒否した“オレ流”エピソードのインパクトが強すぎて、監督としての指導力に問題があったかのようなイメージが上書きされた感があるのは残念だ。確かに監督としてリーグ優勝は1度もなかったが、前後期制の時代にロッテでは2度の前期優勝。落合が移籍してくる直前まで中日の指揮も執って、監督として通算勝率.518と勝ち越しており、決して凡将ではなかった。そして当の落合も、のちに「高度すぎて理解できなかった」と、その打撃理論を見直している。山内一弘(和弘)だ。

 ただ、監督として以上に打撃コーチとしての評価が高いのは事実。そして、指導者としては“かっぱえびせん”と呼ばれたが、その理由は指導を始めたら「やめられない、とまらない」ことから。なぜ「やめられない、とまらない」と“かっぱえびせん”になるのか、もしかすると若い読者には分からないかもしれない。20世紀、特に昭和の昔を知る人なら誰でも知っている、さらには歌えることでもあり、そこは頑張って調べてもらいたい。敵チームの選手に質問されても熱心に指導して、あきれられたこともあったという。だが、その打撃理論よりも指導の熱心さで伝説になっていて、若き落合と同様、多くの打者が理解に苦しみながらも食らいついていった姿が見えてくるようだ。

 なお、監督としてだったが、26歳でプロ入りした落合に目をかけ、マシン打撃の際に落合を捕手の位置に立たせて、「何も考えず、火の粉を払うような一瞬の動きが必要。その反応が内角打ちには必要なんだ」と、体の前に来た球を払うように打たせた。落合は「そのときは分からなかったが、特にインコースうちは、あとで考えると参考になるものが多かった」と振り返っている。

 その「インコース打ち」は、山内が独学で編み出したものではない。現役3年目の球宴で、最終的には通算5度の本塁打王に輝く青田昇に助言を受け、それを発展させたものだ。青田は「ヒジを締めて腰の回転だけで打て。低い球は引っ張らずセンターに送り出す感覚。あとは、どう左手を抜くか」と言って、打撃練習の際には山内をセンターに立たせて実演してみせた。青田は“じゃじゃ馬”と呼ばれた暴れん坊ぶりで語り継がれる一方、稀代の理論家。山内は、このプロ3年目に初の打点王。落合もプロ3年目、山内監督ラストイヤーに初の首位打者に輝いた。卓越した打撃理論、そして技術は伝承されていたことが分かる。

 だが現在、プロ野球記録の保持者を見てみても山内の名前はない。それでも一時は通算本塁打でプロ野球の頂点に立ったことのある強打者だったのだ。

上書きされた記録


毎日、大毎、阪神広島でプレーし396本塁打をマークした


 山内は2リーグ制3年目の1952年に毎日(現在のロッテ)入団。愛知県の出身で、高校時代は投手だった。全国的には無名の存在で、中日のテストを受けて不合格、社会人の川島紡績で外野手に転向したことが、のちの強打者を生むことになる。プロ3年目の54年に不動のレギュラーを確保して、初めて全試合に出場。現在とは違って規定打数だったが、初の到達で打率3割をクリア、以降2年連続で打点王に輝き、特に球宴の大舞台で“お祭り男”と呼ばれる活躍を見せて、一気にプロ野球を代表する打者に成長した。

 57年に初の首位打者。翌58年にチームは大映と合併して大毎となり、大毎としては初のVイヤーとなった60年には“ミサイル打線”の中核として2年連続となる本塁打王、3度目の打点王で打撃2冠、MVPに輝いた。63年には小山正明とのトレードで阪神へ移籍。村山実と並ぶエースの小山と四番の山内とのトレードは“世紀の大トレード”と言われたが、その後もチームの代表格が1対1で穏便に交換されることはなく、まさに“世紀の大トレード”だった。

 通算本塁打でトップに立ったのは移籍1年目の64年だ。だが、翌65年には南海の野村克也に追い越され、73年には巨人王貞治が野村も上回り、山内の名前は後輩たちに上書きされていった。

 現在は3位だが、通算448二塁打は長くプロ野球記録だった。現役ラストイヤーに更新した阪急の福本豊とは1本の差しかない。山内は68年に移籍した広島でも1年目は全試合に出場。70年オフに現役を引退したが、その姿勢は後輩たちの手本に。当時の広島には若き日の山本浩二(浩司)、衣笠祥雄がいた。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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