
31本塁打、97打点で打撃に冠を獲得した岡本
巨人の
岡本和真が最多本塁打と最多打点の二冠を達成した。このうち、最多本塁打のタイトル獲得は、巨人の選手としては2010年の
アレックス・ラミレス以来。日本人選手では
松井秀喜以来と実は久しぶりだった。今回は、岡本が獲得した巨人の「本塁打王の歴史」をまとめてみた。
巨人の本塁打王は過去に何人いる?

1年目から本塁打王に輝いた長嶋
日本プロ野球史を振り返ると、巨人の選手で初めて本塁打王になったのは
中島治康。1937年の春季リーグで4本塁打を放ち、タイガースの
松木謙治郎と並んで本塁打王となった。その後、中島は1938年秋にも最多本塁打を記録。同年は最多打点と首位打者にもなり、日本プロ野球史上初の三冠王達成者となった。
1940年には、日本プロ野球史上初の2000安打達成者となる
川上哲治が初の本塁打王を獲得。1948年は阪急より加入した
青田昇が25本塁打を放ち、川上も同数だったために巨人の選手がダブル受賞となった。
1950年から2リーグ制となり、翌1951年は青田昇が巨人では2度目の本塁打王となっている。それから7年後の1958年には、鳴り物入りで入団したルーキーの
長嶋茂雄がその評判にたがわぬ活躍を見せ、いきなり最多本塁打を記録。長嶋は1961年にも28本塁打で2度目の本塁打王を獲得した。
王の快進撃がはじまった1962年

今後破られることはないであろう13年連続本塁打王に輝いた王
長嶋が2度目の本塁打王となった翌1962年は、
王貞治が38本塁打で自身初のタイトルを獲得。これが快進撃の始まりだった。王はそこから1974年まで13年連続で同タイトルを獲得。ご存じのように、これはNPB史上最長記録だ。1975年は王が調子を落としたこともあり
阪神の
田淵幸一に王座を明け渡すが、翌1976年は再び王者に返り咲く。結局1977年も本塁打王となり、通算15度の獲得は前人未到の最多記録だ。
王のすさまじいまでの活躍の反動か、以降はしばらく巨人の本塁打王は出現せず。ようやく登場したのは1998年で、それが松井秀喜だった。プロ注目の逸材として1993年ドラフト1位で入団した松井は、2年目にレギュラーに定着し活躍するも、しばらくはタイトルと無縁だった。しかし、1998年は序盤は不調に陥るも徐々に調子を取り戻し、終わってみれば王以来となる最多本塁打と最多打点の二冠を達成。その後、松井は2000年、2002年と巨人では3度の本塁打王となった。
松井以降は2004年に
タフィ・ローズ、2010年にアレックス・ラミレスが巨人の選手としてホームランキングに輝いているが、日本人選手による獲得は松井以来はしばらくご無沙汰だった。今回、岡本が見事に獲得し、しかも巨人生え抜きというのも巨人ファンとしてはうれしいポイントだろう。
12球団最多の本塁打王輩出だが……

松井は巨人で3度の本塁打王に輝いている
さて、巨人の本塁打王の歴史を振り返ってみたが、1950年以降で見た場合、巨人の選手が本塁打王となったのは岡本を除くと通算23回。これは現存する12球団の中で最多だ。これに続くのが
西武で通算20回(1952年の
深見安博はトレード先の東急所属でのタイトル獲得とする)だ。
さすが球界の盟主といえる数字だが、23回のうち15回は王が達成したもの。そのため、「輩出人数」で見た場合は巨人は6人。これは
中日(通算10人)、
日本ハム(通算9人)、
ヤクルト(通算9人)、西武(通算8人)、
DeNA(通算7人)よりも少ない数字なのだ。
※輩出人数は落合博満のロッテ、中日など別球団で達成した場合もカウント このように、王の活躍で巨人は最多本塁打を数多く獲得できたが、単純な輩出人数では意外と少ないのだ。そう考えると、今回の岡本の本塁打王獲得がより輝いて見えてくるだろう。岡本には、巨人の生え抜きでは松井も達成できなかった「王以来の2年連続最多本塁打」に期待したいところだが、その前に日本シリーズでの健闘を祈りたい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM