強風の千葉マリンで

この試合の調子であれば、風がなくてもかなりの三振が取れていたはずだ
「あれはオバケや。(球が)消えた」
1995年、日本シリーズで対戦する
ヤクルト・
野村克也監督があきれたように言ったことがある。
オリックス・
野田浩司のフォークボールだ。野田自身は「フォークは変化じゃない。腕の振り。いかにストレートと同じように振るか」と言うが、その信じられないほどの落差は、まさに“魔球”だった。
4月21日、名物の東京湾からの強風が吹き荒れ、マウンドでは強烈な逆風となっていた千葉マリンの
ロッテ戦が大記録の舞台だ。
野田の中で、この試合に懸ける思いもあった。前回の登板、4月15日の
西武戦で2回8失点と屈辱のKO。そこからフォームを修正し、挑んだ試合だった。初回からすさまじいペースで三振を奪う。逆風で、フォークがえげつないほどの変化をしたこともプラスした。野田も途中から三振を数えてはいたが、記録を意識したのは7回に16個目を取ってからという。接戦だったし、それほど、とにかく勝ちたいという気持ちが強かった。
1対0とオリックスのリードで迎えた8回裏だった。ロッテの
平野謙をフォークボールで空振り三振。史上最多18奪三振を達成した。従来は62年に阪急・
足立光宏がつくり、90年の近鉄・
野茂英雄、野田自身も94年8月12日の近鉄戦で記録している17だ。これで4度目の15奪三振以上。
金田正一(国鉄−
巨人)と並ぶ記録でもある。
ただ、野田の記録はすべて93年以降。92年まで所属した
阪神時代は際立って奪三振の多いタイプではなかった。93年オリックスに移籍してから増え始め、95年まで3年連続200奪三振以上である。
「この3年間は体力的にも技術的にも最高だった。あとパのバッターが初球からどんどん振ってきたのもあるでしょうね」
風が味方したのはフォークだけではない。ファウルフライをライトの
イチロー、一塁の
藤井康雄が落球。その後三振を奪っている。
しかし勝利目前の9回裏。センターライナーに突っ込んだ
田口壮が打球を後逸し、三塁打。走者がかえって同点に追いつかれた。その後、満塁策とし、二死で再び平野から19個目の三振を奪ったが、このときはサヨナラのピンチ。三振はまったく頭になかったという。
ベンチに戻ると、投手コーチの
山田久志が「代わるか」と声を掛けてきたが、「行かせてください」と答えた。ここまで来たら自分で白黒つけたかったからだ。山田コーチも「分かった。仰木(彬)監督と相談してみる」と言ってくれたが、5分以上が過ぎて戻ってくると「悪い。俺の力不足だった」と言って、肩をポンとたたいた。
10回裏、代わった
平井正史が打たれ、最後は犠牲フライでサヨナラ負け。「悔しくて、取材の話も全部断ってもらいました。平井がどうこうじゃない。自分自身が同点にされたことに対してです」と野田。この時点でオリックスは4位。奇跡のVに向かい、調子が上がり始めていた時期でもある。
写真=BBM