スライダーを決め球にする投手は多いが、超一級品の宝刀を持っている投手は打者が分かっていても打てない。現役の選手で言えば、パドレス・
ダルビッシュ有、
楽天・
田中将大、
松井裕樹、
西武・
松坂大輔、OBで言えば、西武のエースとした活躍した
西口文也、「平成の大エース」と呼ばれた
巨人・
斎藤雅樹、
阪神のセットアッパーとして一時代を築いた左腕の
ジェフ・ウィリアムス、
ソフトバンク、ヤクルトでプレーした
新垣渚などが印象深い。
一口にスライダーと言っても、横に鋭く変化する軌道や縦に落ちる変化など投手によって軌道はさまざまだ。球史に残るスライダーの使い手がいる中、「最高のスライダー投手」の呼び声が高いのが、元ヤクルトの伊藤智仁、元中日の岩瀬仁紀だ。魔球と呼ばれるスライダーを操った両投手の活躍は圧巻だった。あなたは「最高のスライダー投手」にだれを選ぶだろうか。

伊藤のスライダーの握り
・伊藤智仁(ヤクルト)
※通算成績127試合登板、37勝27敗25セーブ、防御率2.31
そのスライダーは衝撃だった。ムチのようにしなる右腕から、直球と見間違う140キロ台の高速のスライダーが右打者に当たる軌道から鋭く横滑りして、外角低めに決まる。見たことのない変化に打者たちはのけぞったまま唖然とした表情を浮かべていた。
伊藤が輝いた時期は短い。新人の1993年。7月上旬に戦線離脱したが、開幕からの実働3カ月で7勝2敗、防御率0.91。計1733球を投げて12試合先発で5完投4完封、109回で126奪三振と異次元の投球内容だった。全国中継で大きな反響を呼んだのが、6月9日の巨人戦(石川)だ。0対0の9回二死で
篠塚和典にサヨナラアーチを浴びて敗れたが、リーグタイ記録の16奪三振をマーク。150キロを超える直球と鋭く横滑りする140キロ台のスライダーで巨人打線から三振の山を築き、一気に注目度が上がった。
同期入団の巨人・
松井秀喜に圧倒的な差をつけて新人王を獲得。2年目以降は度重なる右肩痛、右ヒジ痛で満足に投げられた時期が少なかったが、ヤクルトの
野村克也監督、全盛期にバッテリーを組んでいた
古田敦也は日本歴代最高の投手として伊藤の名を上げている。現在でも伊藤の高速スライダーを「日本一の変化球」に挙げるプロ野球OBは多い。

岩瀬のスライダーの握り
・岩瀬仁紀(中日)
※通算成績1002試合登板、59勝51敗407セーブ82ホールド、防御率2.31
伊藤の高速スライダーはテレビの画面越しからそのすごさを実感できたが、「打席に立ってそのすごさが分かる」と打者たちが証言したのが岩瀬のスライダーだった。投球の半分近くを占めた伝家の宝刀はキレ味鋭く、真横に滑るように曲がる。しかも、直球と途中まで同じ軌道なので打者はなかなか見極められない。セットアッパーで活躍していた時期は右打者の内角に「消える」スライダー、抑えになると右打者の外角からストライクになるスライダーも投げ分けるようになり、その制球力は抜群だった。
岩瀬のすごみはこのスライダーを武器に、驚異的な数字を長年残し続けたことだ。新人から15年連続50試合以上登板するなど計1002試合登板、407セーブはいずれもNPB歴代1位の金字塔。セットアッパーとして最優秀中継ぎ賞を3度、05年から9年連続30セーブと不動の守護神で最多セーブ投手を5度受賞した。日本シリーズも6度出場して失点はゼロ。中日黄金時代を支えた。
落合博満監督は「岩瀬が打たれて負けたなら仕方ない」と決まってコメントしていた。絶大な信頼を寄せられた証だが、中日ファンも異論がないだろう。
写真=BBM