勝負強い初代勝利打点王
優勝した85年は強力クリーンアップの後の六番で活躍
阪神・
佐野仙好は頼りになる男だった。寡黙だが愛想がいい。だれにでも好かれる男だが、勝負師としても一流だった。優勝した1985年、
ランディ・バース、
掛布雅之、
岡田彰布がクリーンアップに並んだ猛虎打線。その後ろでニラミを利かせた佐野は、新聞の見出しになる派手さはなかった。しかし、最強クリーンアップが十二分に力を発揮するため、佐野はいぶし銀の働きをした。重量級トリオとの対戦を終わって、相手投手はフッと息を抜く。その瞬間、佐野はガツーンと致命傷を与えた。
1974年ドラフト1位で中大から入団したときは三塁手だった。ところが、同期生が掛布。すい星のように現れた掛布とのポジション争いに敗れた佐野は外野に弾き飛ばされた。不平を言わず、黙々と練習したが、その外野で不幸な事件が……。77年4月29日、川崎球場での大洋戦。飛球を追った佐野は外野フェンスに激突して大ケガをした。頭がい骨骨折。生命の危機を脱出するまで1週間かかった。
それ以来、ファイター佐野は阪神ファンの心をつかんだ。常に、
巨人という球界の権力に歯向かってきたのが阪神の伝統。フェンスを恐れず激突した佐野の闘志は、猛虎魂に通じるものがあった。
故障から回復した佐野は、勝負師の特質に磨きをかけていた。セ・リーグに勝利打点賞が出来た81年、佐野は15のV打点を稼ぎ、初代勝利打点王に輝いた。
「勝負強い? そんなこと思ったことないですよ。僕は器用な人間じゃないから、とにかく一生懸命やろう、と……。まあ、気を抜かずにプレーできたとは思います」
寡黙な勝負師。人のよさそうな佐野だが、一度ヤマを張ったら少々のボール球でも思い切りたたくキップの良さがあった。“派手さのない
新庄剛志”というイメージも合う。バース、掛布、岡田、
真弓明信。豪華な主役陣を引き立たせる最高の名脇役を演じた。
写真=BBM