3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を進行中。いろいろあってしばらく休載しましたが、今後は時々掲載します。 与那嶺監督の不安
今回は『1973年6月4日号』。定価は100円。
5月18日現在、中日が14勝6敗、
巨人が12勝14敗。中日は首位を快走し、巨人は5位だった。
しかも、中日は対巨人に5勝1敗と勝ち越し。さぞや怪気炎と思うと、
与那嶺要監督は、
「巨人は今悪くても最後には必ず出てくる」
と警戒する。
与那嶺監督は穏やかな印象にもかかわらず、実は熱き闘将だったが、ほぼ腹芸ができない“ジェントルマン”でもあった。地元記者によれば、
「喜びを素直に表現する。が逆に不安や心配、悩み事なども、そのまま表情に出し、口にもストレートに表してしまう」
という。
以下はやや分かりにくいが、この善人与那嶺を狙った謀略として紹介されたものだ。
5月12日、あるスポーツ紙に「
高木守道ヘルニアで入院」と大見出しが躍った。さらに小見出しは「再起まで1カ月以上」。これが再起まで1カ月は完全にデマで、実際には15日の
阪神戦から復帰している。
しかし、この記事にショックを受けたのが与那嶺監督。はたで見て気の毒なくらい心配していたという。
記事では、これを「他球団の謀略」と書いていたが、高木本人か医師に聞けばいいだけでは、とも思ってしまう。
ただ、次の件は明らかに匂う。この高木事件を報じた新聞が今度は、
「地元観客がそっぽ。小粒で目立つ商品がなく」
と書いたのだ。確かに中日のスタートダッシュは猫の目ヒーローによってだったが、観客動員は前年よりアップ。いつも球場に一番乗りし、選手と一緒に体を動かす与那嶺のもとチームの結束も固まり、ファンも支持していた。
記事では、最後まで、ある新聞としかなかったが、これはやっぱり、あそこだろうか。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM