清原は“浪人”しなかったが……

89年のドラフトでダイエーから1位指名を受け、視線を落とす元木
これまで3度にわたって
巨人と
江川卓の“ドラフト”と、その周辺を振り返ってみた。その是非はともあれ、ドラフトで巨人から指名されたかったことで“浪人”した末に念願をかなえたのは江川が最初だったが、これはプロ野球を目指す若者に巨人の人気が絶大であることの傍証には違いない。
85年の秋もドラフトを騒がせたのは巨人だった。PL学園高の
清原和博が巨人への入団を熱望、指名は決定的といわれながらも、巨人が1位で指名したのは清原のチームメートで早大への進学を希望していた
桑田真澄。巨人ではない6球団の指名が競合した清原は会見で涙を流したが、江川のように“浪人”はしていない。とはいえ、清原はFAで97年に
西武から巨人へと移籍している。
江川に続く“巨人浪人”が復活するのは時代が平成となって最初のドラフトだ。89年の秋、「巨人でなければプロへ行かない」と明言したのが上宮高の
元木大介であり、「1位(指名)でなければ巨人にも行かない」と言い放ったのが慶大の
大森剛だった。ともに内野手で、結果的に巨人が1位で指名したのは大森。
野茂英雄を外したダイエーの“外れ1位”で指名された元木は入団を拒否、1年の“浪人”を経て翌90年の秋にドラフト1位で巨人から指名されて入団を果たしている。
20世紀の最後、2000年の秋に「巨人でなければ社会人」と明言、1位で指名した
オリックスへの入団を拒否して2003年の秋に自由獲得枠で巨人への入団を果たしたのが左腕の
内海哲也。06年の秋に
日本ハム4巡目、08年の秋には
ロッテ2位の指名を受けながらも入団を拒否、ようやく09年の秋に巨人からドラフト1位で指名されて悲願を果たしたのが外野手の
長野久義だ。
11年の秋には現在は巨人のエースに成長した
菅野智之が“浪人”。菅野は巨人が1位で指名しながらも抽選で日本ハムに敗れた結果で、菅野は東海大に残り、翌12年の秋に巨人が菅野の単独1位指名に成功したことで入団を果たした。一方、ともに主力として結果を残した内海と長野だが、19年に内海は西武へ、長野は
広島へ、FAの人的補償で移籍。いずれも新天地で現役を続けている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM