
勝負強い打撃でチームを25年ぶりの優勝に導いたT-岡田
苦しみ抜いたからこそ「自分がやりたいこと」が明確になった。2014年、チームはリーグ2位躍進も、以降は再び下位に沈み、“浪速の轟砲”のバットからも次第に快音が消えていく。17年は31本塁打も、18年は13本塁打、19年は腰痛の影響もあって一軍定着以降、最少となる20試合出場で打率.120。本塁打は、わずか1本と苦しみ、5月から二軍暮らしが続いた。そんな中で迎えた19年の最終戦に一軍昇格。7回に代打で登場すると割れんばかりの大声援を浴び、気が付いた。
「待ってくれている人がいる。あの声援は一生忘れないと思います。結果という形で応えていくことが恩返しであり、自分が一番やりたいことなんだと気付かせてもらいました」
同年オフにプエルトリコのウインター・リーグに参加して腕を磨いた。異国の地で目にしたのは、野球を楽しむ光景だった。
「音楽を流して皆で躍っていて。すごく楽しんで野球をやっている。カルチャーショックってこういうことを言うんだなって」。
結果は全力でプレーした先にあるもの。一丸となって果敢にプレーするからこそ、ファンはナインの背中を押し、そんなファンに勝利を届けるべく選手が奮闘する。目指した好循環は、今季「最後まであきらめない」を掲げて生まれ変わったチームが体現した。快進撃を続け、優勝争いに参戦。背番号55も奮闘し、9月30日の首位を争う
ロッテとの直接対決(ZOZOマリン)では、2点を追う9回二死から逆転3ラン。この殊勲打が、低迷からの脱却を図るチームを象徴していた。
「打てたことよりチャンスで皆が回してくれたこと。全員で勝つために、僕もつなぐ意識でいましたから」
“やりたいこと”は悲願の優勝で結実した。その要因は「チームの雰囲気」に尽きると言う。「似ている。今年のチームとプエルトリコの雰囲気が」。苦しんだからこそ、知った世界がある。そこに向って突き進んだ先には、皆が待つ歓喜の輪があった。
写真=BBM