地域交流が促進されていくモデルケース

積極的に農作業を行う由規[左]、片山
師走に入るころ、埼玉県は上尾にある農園で野球選手たちの活気ある声がこだましていた。
スワローズなどで活躍した由規が畑を耕し、イーグルスでマウンドに立っていた
片山博視が肥料を蒔き、同じくイーグルスでプレーした
フェルナンドが種蒔きの指示を送る。オフに入った今シーズンだがBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズの活動はまだ終わっていなかった。
ヒートベアーズのナインたちはフランチャイズの地である埼玉で農業を始めていた。バットを鍬に持ち替え、ボールを肥料と種に替えて、グランドから飛び出し、農耕地で耕運機を見事に使いこなしていた。
「楽しいですね、本当に。農業をやれるなんて。ここでもやっぱりウチのチームワークは良いですよ」
この12月に32歳を迎え、ベテランの域に入ろうとする由規が笑顔で生き生きと話してくれた。今季は地区優勝を果たし、NPBの舞台で活躍した元プロ野球選手を幾人も抱えるBCリーグを牽引するチームがなぜ農業? この疑問を解決するために現地に向かった。
チームを率いるのは
千葉ロッテマリーンズに所属していた
角晃多。父はスワローズなどで守護神として活躍した
角盈男である。監督としてチームの顔として東奔西走する彼がスーツ姿で畑を見つめながらこんな話をしてくれた。
「僕らの理念は地域貢献。いかに地元社会に貢献できるかを常に念頭に置き、チームは活動しています。その中で、このオフから地元の高齢者さんや介護サービスに従事する皆さんと一緒に農業を始めることになりました」
「野球×農業」もほとんど聞いたことがなかったが、さらに「野球チーム×介護」はもっと聞いたことがなかった。
「介護事業を展開するユニマット リタイアメント・コミュニティさんから提案があり、この場所で選手と高齢者と共に野菜を育てるプロジェクトを始めました。そして、ヒートベアーズ野菜としてスタジアムでファンの皆さんに販売できればと思っています。“そよ風”という介護施設でリハビリなどを頑張っている高齢者の皆さんに僕らの姿を見てもらうこと、一緒に野菜を作ることで元気になってもらいたい、そしてチームの一員になってもらいたい。強くそう思っています」
角監督から出てきた言葉はとても新鮮であり、チームが掲げる理念である“埼玉武蔵ヒートベアーズは野球をプレーするだけでなく、チームのビジョンに則り、地域支援を通して社会貢献活動に参加する”という部分にまさにマッチしていた。コロナ禍でなければ、選手が施設に行き、施設利用者やスタッフに元気と活力を届けるのだが今はそれが難しく、まずは選手が野菜を育て、収穫し、施設利用者のもとに届け、食べてもらうと言う。スポーツとシニアがこんな形で交わり、地域交流が促進されていくモデルケースが出来ようとしていた。
BCリーグの存在価値

同プロジェクトは社会貢献という広い視野で見ても意義深い
「ありがたいですよね、本当に。僕らがおじいちゃん、おばあちゃんと農業を行って、企業さんからは食事を提供してもらえます。特に若い子たちが多いBCリーグは食事の充実がとても大事なんです。きっちりとしたものを摂れるかどうかで選手としての可能性は変わってきます」
最速161キロの速球を持つも、NPBで幾度のケガを経験し、そしてBCリーグの環境を体感してみて、あらためて由規はそう思ったという。介護サービスを展開するユニマット リタイアメント・コミュニティには管理栄養士の皆さんが従事していて、パフォーマンスを上げるための栄養ある食事が摂れる体制が整っている。ヒートベアーズの選手たちはその食事の提供を受ける代わりに高齢者の皆さんと農業を行い、食べて元気になり、野菜を販売し、高齢者の皆さんに生きる活力を与える。このプロジェクトは野球界、介護業界、農家がシナジーを生み出し、社会貢献という広い視野で見ても意義深い活動であると強く感じた。こういった展開や仕組みができてこそ地方チーム、とくに「プロ」という意味合いを持つBCリーグには存在価値が生まれてくる。
介護サービスのプロたちも、このプロジェクトをサポートする農業関係者の皆さんも、そして何よりも選手の皆さんがとてもうれしそうだったことが印象深かった。現場は活気にあふれていた。「野球×○○」を見事に形にしているヒートベアーズ。コロナ禍が明ければ、スタンドに高齢者の皆さんがいて、ともに育てた野菜をファンが買い、畑がチームと地域をつなぐ架け橋になる。新たに始まった野球界での取り組み。埼玉武蔵ヒートベアーズは地域の皆さんにとってかけがえのない存在になる。未来が明るく見えた2021年のオフシーズンだった。
文・写真=田中大貴