「あまりにも突然の引退でした」

セパ両リーグで通算486本塁打を放った大杉[写真はヤクルト時代]
近年はペナントレースも閉幕に近づいた時期の公式戦が引退試合になることがほとんどだが、その昔はオープン戦が引退試合として開催されることも少なくなかった。ペナントレースだとチームが、さらには相手チームが優勝を争っていたりしたら、そのゲームが引退試合になることで何らかの影響も出てきそうなものだが、その心配はオープン戦にはない。この点、ファンは選手の引退に集中できるというわけだ。これは引退する選手の実績にかかわらず、国鉄(現在のヤクルト)と
巨人で通算400勝を残した左腕の
金田正一もオープン戦が引退試合だった。
ヤクルトの
大杉勝男も同様だった。通算486本塁打を放った長距離砲だ。ただ、大杉の場合は1983年シーズンが閉幕した時点では現役を続行するつもりで、そこから心臓の持病が悪化、引退を余儀なくされたものだった。「あまりにも突然の引退でした。だから、(83年の)最後の打席が生涯で最後のものになるって実感がありませんでした。それが自分に納得がいかなくて……」と大杉。そんな長距離砲にとっての“最後の打席”が、オープン戦で用意されることになったのだ。
小雨まじりの天気にもかかわらず、客席には3万人ほどの観衆。結果は三ゴロ併殺だったが、「早く終われば、という気持ちで早打ちしました」と、大杉は笑顔だった。引退セレモニーでは、「最後にわがままなお願いですが……」と切り出す。通算本塁打の内訳は、パ・リーグで287本塁打、セ・リーグでは199本塁打だった大杉。「あと1本に迫っていた両リーグ200本塁打。この1本を、ファンの皆様の夢の中で打たせてやってくだされば、これにすぐる喜びはありません。長い間、本当にありがとうございました」と、大杉は引退の挨拶を結んだ。
もちろん、公式には大杉は両リーグ200本塁打を達成していない。それでも、大杉からマイクを通して託された夢を、おそらくはすべてのファンが自身の「夢の中」でかなえたはずだ。プロ野球で快挙といえるものは無数にあるが、その達成の舞台がファンの「夢の中」だった選手は、おそらくは大杉だけだろう。
文=犬企画マンホール 写真=BBM