人気を集めた“コロコロちゃん”
ソフトバンクの起源は戦前にプロ野球へ参加した南海にさかのぼる。チームがダイエーとなったのは1989年で、本拠地も大阪から福岡へ移転した。チームがダイエーだったのは2004年まで。この16年の間に来日1年目の開幕戦から満塁本塁打を放った助っ人が2人もいた。それも2年連続。ただ、当時のダイエーは低迷期。2年連続の快挙も、それぞれ別の選手によるものだったことは、チームの不安定さを物語っているように思えた。
1人目は1994年のブライアン・トラックスラー。この94年のパ・リーグ開幕戦では
西武の
伊東勤が劇的なサヨナラ満塁本塁打を放っていて、これがプロ野球で初めての快挙だったこともあり、その陰に隠れた印象もあるトラックスラーの満塁弾だが、この日のトラックスラーは4安打7打点の大活躍。小柄ながら公称91キロには見えない丸々とした体型もあって一躍、人気を集めることになる。愛称は“コロコロちゃん”。主に三番打者を務め、巧打に堅実な一塁守備という意外性(?)も発揮した。だが、大のビール好きでもあり、ますます体重が増えることに。最終的には15本塁打にとどまって、翌95年の春季キャンプで退団している。

開幕戦からメジャーで発揮した豪打を見せたミッチェルだったが……
代わって迎えた開幕戦の初打席から満塁本塁打を放ったのが
ケビン・ミッチェルだ。トラックスラー以上、というよりも、通算220本塁打、89年には本塁打王、打点王の打撃2冠という圧倒的なメジャーの実績を誇る長距離砲だったが、トラブルメーカーとしても有名だったミッチェル。実績に期待が集まった一方で、「絶対もめるぞ」という不安の声もあった。
結果的には、いい予感、悪い予感、両方とも大当たりということになる。ミッチェルの開幕戦満塁弾は、いい予感の的中だ。だが、そこから次々と悪い予感の的中が続いた。5月に無断で帰国、7月に再来日も会見をすっぽかし、それでも試合では9試合で15安打、打率.455と結果を残したが、すぐ帰国。8月には解雇された。「(ダイエーに)戻って打てたことで、メジャーでやろうとなったんだろうね」と
王貞治監督。ミッチェルは年俸の全額支払いを求めて裁判を起こしている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM