“時短”で困らせた?

70年から79年まで中日でプレーした松本
敬遠が申告制となったのに続いて、ワンポイントリリーフもなくなるかもしれない。目的は試合時間の短縮だという。
この10年あまり、電力の制約や厄介な感染症があり、こうした事情からプロ野球の試合も“時短”を求められたことがあった。さらに、我々が「待つ」ことが苦手になったのも確かだろう。強打者に対して“刺客”が送り込まれるのがワンポイントリリーフ。この連載でも1980年代に
西武の
永射保がパ・リーグに並んだ助っ人の左打者をカモにしたことを紹介したが、こうした左腕をカモにする“左キラー”の右打者もいた。これで両チームが投手の交代に代打、さらに投手の交代などを繰り返して、いっこうに試合は進んでいないのに展開が膠着したようになってしまうこともあり、こうなると確かに、時間を浪費しているような気もしてくる。
一方、いまほど“時短”がもてはやされていなかった昭和の昔、その“時短”で鳴らした(困られた?)投手たちがいた。プロ野球のテレビ中継は、ほとんど試合が終わる前に中継が終わってしまって、これに多くのファンが激怒したものだが、逆に中継の時間が終わる前に試合を終わらせてしまってテレビ局の関係者を困らせたのが中日の
松本幸行だ。
1974年に20勝で最多勝に輝き、中日20年ぶりリーグ優勝に貢献した左腕で、異名は“早投げの松ちゃん”。かといって快速球を投げるようなことは少なく、「どこに行くか自分でも分からない」という多彩な変化球に、「(球速)100キロでも勝てるんや」と超スローボールも織り交ぜ、これを打者が考える暇もないほどのテンポで投げ込んで、相手チームは「なんとなく、やられてしまった」とボヤく。
大阪の出身で
阪神キラー、Vイヤーの74年はエピソードも多く、阪神を相手に100分ちょうど、被安打3の完封勝利も。「よく遊び、よく働く」がモットーで、翌日の先発を告げられてから宿舎でビールがぶ飲み、それでも完封勝利を収めた逸話も74年のことだ。“早投げ”の異名がありながらも遠征先では遅刻の常習犯だったとか。阪急(現在の
オリックス)で引退。“早投げ”するかのように、球界から離れていった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM