オリックスの守護神だった平野佳寿が海外FA権を行使したのは2017年シーズン終了後。ダイヤモンドバックスと2年契約を結んだ。ダイヤモンドバックスは39セーブを挙げたフェルナンド・ロドニーがFAで流出。救援投手の補強が急務だった。平野と契約する直前には、15年のセーブ王、ブラッド・ボックスバーガーをレイズからトレードで獲得していた。 1年目は32ホールドをマーク

ダイヤモンドバックス時代の平野
入団に当たって平野は「最初から抑えとは思っていない。ただ、そういうところを期待していると言われたので、少しでも期待に応えられるようにアピールしていきたい」と気概を口にしたものだ。
2018年のシーズン。クローザーはボックスバーガーで、平野はセットアッパーでスタート。デビューは3月29日、ロッキーズ相手の開幕戦だった。6対2とリードした7回。三番手として登板した。八番のクリス・アイアネッタに左前打を喫し、続く代打のマイク・タウチマンを三振に斬って交代。打者2人で1/3回を無失点という試運転だった。
その後、勝ち試合の8回または9回に起用され、安定したピッチングを見せた。そして5月6日のアストロズ戦から7月3日のカージナルス戦まで26試合連続無失点。速球とスプリットでメジャーの強打者を翻ろうした。00年に
ヤクルトでプレーしたトレイ・ロブロー監督の信頼を得て、シーズン終盤にはクローザーに起用された。1年目は4勝3敗3セーブ32ホールド防御率2.44。75試合登板は日本人選手のシーズン最多である。
申し分のないシーズンを送ったが、19年の序盤は不調だった。右ヒジの炎症で戦列を離れることもあり62試合5勝5敗1セーブ、15ホールドだった。2年契約を終え、FAになって、マリナーズと1年契約。クローザーを務める予定だった。
ところが20年はコロナ禍で見込みが大きく変わり、開幕が延期された。7月初めにキャンプが再開されたが、なんと検査で陽性反応を示したため参加できず大きく出遅れ。マリナーズでの初登板は開幕から1カ月ほど経った8月22日だった。結局13試合登板0勝1敗4セーブ、1ホールドで防御率5.84の成績に終わった。シーズン後、FAになるもメジャーからのオファーは届かず。オリックスに復帰することになった。
アメリカでは1年目に実力を発揮し、2年目は不本意な結果に終わってしまった。そして3年目は新型コロナウイルスに翻ろうされた格好だった。
『週刊ベースボール』2022年6月13日号(6月1日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images