北別府は県境を越えて宮崎の高校へ

沖縄尚学高時代の東浜
夏の甲子園が近づいている。エースの熱投は古くからファンを魅了し続けているが、甲子園のエースがプロへと進み、それぞれの都道府県を代表するエースであり続けるのは容易ではない。
まず、47都道府県で最南端の沖縄県。この2022年で復帰50年となった沖縄は、ほかの都道府県に比べて出場回数が少なく、この類の企画では不利かもしれないが、それでも甲子園、プロで実績を残したエースは少なくない。初出場は、まだ沖縄が占領下にあった1958年。敗れて持ち帰った甲子園の土が“外国”から土を持ち帰ると病害をもたらす危険があると植物防疫官によって廃棄された時代だが、パイオニアは62年に沖縄高(現沖縄尚学高)のエースとして夏の甲子園に出場、プロ入り時に“沖縄の星”と騒がれ
広島と
阪神で18年にわたって活躍した
安仁屋宗八だろう。64年に広島へ入団、119勝を残した。
その後も沖縄水産高から
上原晃(
中日ほか)や
新垣渚(
ソフトバンクほか)、興南高から
仲田幸司(阪神ほか)や
友利結(デニー友利。
西武ほか)がプロで活躍。こうした先輩たちの存在を超えつつあるのが、安仁屋と同じ沖縄尚学高を2008年センバツで2度目の全国制覇に導き、ソフトバンクで22年にノーヒットノーランを達成した
東浜巨だろう。甲子園での実績は圧倒的な東浜がプロでも安仁屋を超える勝ち星を挙げれば、甲子園とプロ、ともに東浜が単独エースになりそうだ。

鹿児島実高時代の定岡
続いて鹿児島県。鹿児島実高から
鹿島忠(中日)、指宿商高からは
永射保(西武ほか)や
田之上慶三郎(ダイエー)、川内高からは
木佐貫洋(
巨人ほか)がプロへ進んだが、甲子園でのインパクトで圧倒的なのが1974年の夏に鹿児島実高のエースとしてアイドル的な人気を博した
定岡正二(巨人)だろう。鹿児島実高には福岡から来た
杉内俊哉(ソフトバンクほか)もいる。ただ、プロの県勢エースは広島で通算213勝を残した
北別府学だろう。ただ、北別府の出身校は宮崎の都城農高。県の出身で、同じ県の高校からプロへ進んだエースに限定すれば、同じく広島で完全試合を含む3度のノーヒットノーランを達成した
外木場義郎もいる。
文=犬企画マンホール 写真=BBM