入社10年目で初

東京ガスの強打の一塁手・地引は2022年の社会人ベストナインを受賞した
東京ガス・地引雄貴(早大)は入社10年目で初の社会人ベストナイン(一塁手部門)を受賞した。
不動の四番として、昨年の都市対抗初制覇に続き、今年も都市対抗準優勝に貢献した。主要大会における年間打率.440は2位。7月の都市対抗、11月の社会人日本選手権でともに優秀選手賞と、打撃での活躍が評価された。
12月13日、東京都内で行われた表彰式で喜びを口にしている。
「入社からずっと目標にしてきました。素直にうれしいです」
地引は千葉・木更津総合高時代から「右の強肩強打捕手」として注目され、2009年に早大入学。当時のチームメートには1学年上に市丸大介(佐賀北高、のち東芝)、同級生には
杉山翔大(東総工高、のち
中日ほか)らがおり、正捕手をめぐるチーム内競争が激しかった。
早大を率いていた應武篤良監督は地引の打撃を生かすため、一塁手への転向を指示。10年秋の退任まで2年間、徹底的に鍛えられた。
「もう、気がおかしくなるほど、怒られた思い出しかありません(苦笑)。顔も見たくない。近づきたくもないほど厳しかった。でも、その意味がいま、10年が経過して理解できるようになった気がします」
11年に就任した早大・岡村猛監督の下、地引は市丸が卒業した最終学年の12年春には捕手として東京六大学優勝でベストナイン、大学日本一を経験。13年に入社した東京ガスでも勝負強い打撃で、けん引してきた。6月で32歳。ベテラン健在である。
今年9月7日、悲報が入った。應武氏が亡くなった。64歳の若さだった。
「残念でした……。本来は直接、手を合わせたかったですが……」
家族葬だったため、地引の代の早大主将・佐々木孝樹(早実、のちJR東日本)が代表して供花を贈った。
地引は恩師に感謝している。
「捕手のままだったら、この年齢まで現役を続けることができなかったと思います。キャッチャーにこだわりがなかったと言えばウソになりますが、監督の判断は正しかったです」
最大の愛情表現
應武氏から学んだのは2つだ。
「勝利への執念。あとは、野球は目のスポーツ。目を大事にするように言われました。あの言葉を忘れずに、今もプレーしています」
数年前、ある会合で会うと、こう言われた。
「お前、誰だっけ?? まだ、ユニフォーム来ているのか? と(苦笑)。最大の愛情表現だったと受け止めています。應武監督から指導を受けた現役選手はほぼいませんので、教えていただいたことをプレーで見せたいです」
栄誉ある社会人ベストナイン。地引にとって鬼の形相しか記憶にない大学時代の指揮官も、天国でほほ笑んでいるに違いない。
文=岡本朋祐 写真=榎本郁也