「それが私のすべてと言っていい」

87年途中に来日し、旋風を巻き起こしたホーナー
1987年。嵐は5月から吹き荒れた。
ヤクルトに助っ人の
ボブ・ホーナーが入団すると、デビュー戦から本塁打、2試合目には3連発。結局、4試合で6本塁打を放つ活躍で、セ・リーグは騒然となった。前年まで2年連続で三冠王となっていた
阪神の
ランディ・バースをして「なんで、あんな選手を連れてきたんだ」と言わしめたホーナー。現役バリバリどころか、メジャーの第一線にいる選手が、突如としてプロ野球にあらわれたのだ。
最終的には93試合だけで31本塁打を残し、オフに退団。あまりの破格ぶりに勝負を避けられ続けたこともあり、終盤はイライラする姿も見られ、退団してからのネガティブな発言もセンセーショナルに報じられて、悪い印象を残している向きも少なくないかもしれない。ただ、当初は攻守走に全力プレーを見せていたことも忘れてはならないだろう。
本塁打で旋風を巻き起こしたホーナーだが、デビュー間もないタイミングで行われた週刊ベースボールのインタビューでは、「間違ってもらっては困る。私はホームランを狙っているわけではない。むしろ打率だけを考えている。私はアベレージ・ヒッター。バッティングは、まずはヒットを打つことで、本塁打や打点は自然とついてくるものだ」と語っていた。また、「仕上がり具合は85パーセントくらい。15パーセントのマイナス部分が取れてくるのは2、3週間ほど先だ」とも。その後も好調は維持したものの、勝負を避けられることも多かったのは前述のとおり。われわれは100パーセントのホーナーを実際には見られなかったのかもしれない。
ただ、そのインタビューで「100パーセント出し切りたい、燃え尽きたいと思ってプレーしている」とホーナーが語っていた。そして、それを実際に目指していたのは確かだろう。
「ベンチにいるときもグラウンドで守備に就いているときも、そう(100パーセントでプレーしようと)している。1試合1試合、そこを見てほしい。日本の子どもたちにも、それを伝えたい。常に100パーセント力を出せば必ず、いい結果につながるんだ。それが私のすべてと言っていい」
写真=BBM