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【大学野球】和田毅氏が早慶戦でレジェンド始球式 試合前に行われていた伝統の儀式

 

恩師が見守る中で一投


早大OB・和田毅氏がレジェンド始球式を行った[写真=矢野寿明]


【5月31日】東京六大学春季リーグ戦

 WASEDAの背番号18を、神宮球場は温かく出迎えた。早慶戦でのレジェンド始球式に登場したのは、歴代1位の476奪三振を記録した和田毅(ソフトバンク球団統括本部付アドバイザー)だった。昨季限りで22年のプロ生活にピリオド。ユニフォーム姿は現役時代とまったく変わらず、複数の関係者からは「今日の先発投手ですか?」と見間違えられたほどであった。試合前からの雨天により「投手の気持ちが良く分かるので……。荒らしても嫌だったので……」と、相手の慶大に配慮して、プレートは避け、マウンドの前から投げた。見事なストライク投球だった。

「このマウンドから見る景色が懐かしい。早稲田と慶應の応援の中で投げるのは23年ぶり。大学4年時に春秋連覇をしましたが、その当時のことを思い出しました。悔しい思い出も、早慶戦にある。このユニフォームを着ると、身が引き締まる。大学時代と同じ気持ちでマウンドに上がることができました」

一塁スタンドでは和田氏の恩師である野村徹氏が、投球を見守った[写真=BBM]


 一塁内野席では大阪から駆けつけた恩師・野村徹氏(88歳)が、教え子のピッチングを見守った。この日のために、体調を整えてきた。

「和田の最後の雄姿を、この目で見届けたいと思っていたんです。思い出が詰まった神宮球場で、早稲田のユニフォームを着て、背番号18で投げる。和田の引退の場としては、最高のフィナーレとなりました。伝統の早慶戦のスタンドから、拍手で『ご苦労さん!!』と、送り出すことができて良かったです」

「一生の宝物になる」


 和田が着用したユニフォームは、この日のために用意された。右肩と背中には、日付も入っていた。野村監督が率いた1999〜2004年当時、エンジのユニフォーム以外、「WASEDA」を身につけてはいけない慣習があった。Tシャツはもってのほかであり、グラウンドコートもエンジの無地。リーグ戦でのベンチ入り登録メンバー25人のみが「WASEDA」を背負って戦うことが許されたのである。

「手元に(WASEDAに関する思い出の品は)ほとんどありません。ユニフォームも貸与でしたので。今回はいただけるということなので、遠慮なく(笑)。一生の宝物になる」

和田氏は早大時代の背番号18を着けた。大学で3学年上の先輩・藤井秀悟[元ヤクルトほか]から2年春に受け継ぎ「左のエース」を定着させた[写真=矢野寿明]


 なぜ、大学時代と同じ気持ちでマウンドに上がることができたのか。試合前、伝統の儀式が行われていた。和田は明かす。

「学生時代、毎カード、リーグ戦前日の金曜日にユニフォーム授与式があったんです。今日もあのときと同じようにマネジャー(荒井尚文氏、舘林高)に名前を呼ばれ、野村監督からユニフォームをいただきました。感動しました。スタンドから見ていただいた中で、しっかりとしたボールを投げることができた。大阪から来ていただいたので、感無量です」

結束力が抜群の野村門下生


早慶戦前には野村氏[中央]の同窓生、教え子たちが集まり交流を深めた[写真=BBM]


 ユニフォーム授与式は、神宮球場前にある施設内で開催。野村氏と同世代のOB、教え子ら約40人が集まっていた。野村氏は昨年10月、ヤクルト・青木宣親(現・GM特別補佐)の引退試合以来の上京。今年1月には教え子たちが大阪に集まり、恩師を囲む会を開いていた。この日、青木も多忙な合間を縫って駆けつけた。野村門下生の結束力は、抜群である。

「この1月から5月まで本当に長かった……。(体調面で)大丈夫かな? と思ったが、皆からエネルギーをもらって、大阪に帰れる」

 卒業生がそれぞれ自己紹介すると、野村氏は当時のエピソードを披露。早大は2002年春から03年秋にかけて、4連覇を遂げている。02年はエース・和田が春秋連覇にけん引。03年は下級生時代からレギュラーだった青木、鳥谷敬(元阪神ほか)ら野手陣が盤石の力を発揮して、早大史上初のV4を達成した。リーグ4連覇当時、新人監督(学生コーチ)を務めていた竹内智一氏(鎌倉学園高監督)が立ち上がると、野村氏は秘話を語った。

「青木、鳥谷と、個人として技術のある選手がいたかもしれないが、チームとしての強さがあった。試合に出られる選手は限られているが、各々には役割がある。レギュラーをいくら強化しても、勝てるものではない。私は監督が見えない、例えば、室内練習場の隅っこで練習している学生の意識を見れば、チーム力が分かると思っていた。いかに危機管理を持って練習しているか。学生野球には、勝ち負け以上に大切なものがある。日常生活で、単純なことを、いかにして積み重ねていけるか。あいさつ、礼儀、食事の作法……。私生活は野球の基本であるキャッチボールと一緒で、全部員が意識高く基礎基本を徹底していけば『家族』のようなチームになる。そのためには、レギュラー以外のレベルアップが必要。皆がWASEDAのユニフォームを着るために、4年秋の最後の早慶戦まで必死になって、汗を流す。2003年のチームには、そういった底力があったように感じる。02年入学の安西真之(麻溝台高)は入部当時、塁間も投げられなかった。彼の悩みを一緒になって考え、本人も努力を重ねて上級生になり、投げられるようになった。そこで私は、練習を止めた。実際に投げさせ、努力の成果を発揮すると、東伏見グラウンドは『すごい!!』と大きな拍手に包まれた。真摯に取り組む尊さは、レギュラーにとっても大きな刺激になった。そうした経験をした安西が今、教員になっていると聞き、本当にうれしいことです」

 野村氏と言えば「東伏見グラウンド=神宮球場」がモットーだった。部訓の一つである「練習常善」を浸透させた。2年時から野村氏の指導を受けた阿部慎史氏(早実)は明かす。

「東伏見の練習は、吐き気をもよおすほどピリピリしており、緊張感がありました。冒頭のキャッチボールができなければ、練習は前には進みません。メニューはストップし、できるまで反復する。野村監督がシートノックを前に『ミスをしない自信のある奴だけが残れ!!』と指示すると、半分以上が抜けていったことも……。神宮での野球は、誤解はしてほしくないですが、楽しかったんです。つまり、それだけの猛練習を積んできた自負があったからこそ、力を発揮できたと思います」

 レジェンド始球式を行った和田も、東伏見での練習が野球人としての土台にある。「大学4年間の過ごし方で、プロ22年間を戦うことができた。野村監督、先輩、同級生、後輩に感謝したい」。2019年から母校・早大を指揮する小宮山悟監督は「必死にやった者が勝つ」と言い続けている。同指揮官も2年間の浪人を経て入学し、チーム内競争を勝ち抜き、エースへと上り詰め、ドラフト1位でプロ入り。NPB通算117勝で、MLBのマウンドも経験した。小宮山監督にとって、野村氏は父親も同然の存在。小宮山監督の恩師は、野村氏の恩師でもある石井連藏氏という共通点があるからだ。連盟結成100周年の早慶戦は卒業生、現役学生にとっても貴重な日となった。

文=岡本朋祐
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