大学卒業後に野球を続けなかった理由

慶大OB・志村亮氏がレジェンド始球式を務めた。現役時代と変わらない投球フォームに目がクギ付けとなった[写真=矢野寿明]
【11月1日】
東京六大学リーグ戦第8週
早大5-3慶大(早大1勝)
慶大で通算31勝を挙げた志村亮氏がレジェンド始球式に登場。ユニフォームを着用し、スパイクも履いた。投球前にはロジンで手を馴染ませ、右足のステップ幅を確認するほどの徹底ぶりである。力が抜けた往年のきれいな投球フォームから、ノーバウンドの見事なボールを投じた。自己採点は80点だった。
「(連盟結成90周年の)10年前にもやらせていただいたんですが、届いて良かった。満点まで20点? ストライクが入らなかったからです(苦笑)。優勝がかかった早慶戦ではありませんが、学生もたくさん入って、盛り上がってくれた。楽しませていただきました」
在学中の5試合連続完封、53イニング連続無失点は、今も残る連盟記録である。桐蔭学園高、慶大を通じて3学年後輩で、志村氏と4年時にバッテリーを組んだ
大久保秀昭氏(ENEOSチームディレクター)は言う。
「投球センスの塊。53イニング連続無失点のときにマスクをかぶらせていただきましたが、真っすぐは140キロにも満たないかもしれませんが、キレとコントロールがあった。(1996年の)アトランタ五輪で組ませていただいた(ミスター社会人と呼ばれた)杉浦さん(杉浦正則、日本生命)よりも制球力は上回っていました。変化球は4〜5種類あり、ミットを動かすことがありませんでした。フィールディング、けん制にも長けており、四球、安打を許しても動じることはない。ある意味で『レジェンド』のまま、野球人生に一区切りをつけた。志村さんとは親同士が親しくさせていただき、私の両親が志村さんの結婚式の仲人と言いますか、立会人を担った背景があります。今も幸せな人生を送られているので、良かったと思います。仮にプロに進んでも、活躍できるかは誰にも分からないですからね」
1988年のスカウト戦線。志村氏はドラフト1位候補に挙がっていたが、プロ入りを拒否し、一般企業に就職した。社会人野球の道も選ばなかった。なぜ、大学卒業後に野球を続けなかったのか。
「(野球に)一生を捧げる覚悟ができていませんでした。(大学では)出来過ぎでした。すべてをやり尽くして、そこに後悔はなかったんです。きっぱりと、辞められました。けじめをつけやすかった。(プロに)行かないことに、1回も後悔したことはないです」
志村氏をプロでその雄姿を見たかった、という声は、こうしたタイミングのたびに聞かれることだ。現役学生へのエールを聞くと、志村氏の生き様が見えてくる。
「野球は一生、し続けるわけではない。広い視野を持って、社会に飛び込んでほしい」
野球で得た学びは、社業に生かされている。チームスポーツである野球は「人生の縮図」と言われるが、生きていく上で、一人では何もできない。多くの人の支えがあって、初めて仕事が成り立つ。社会の第一線で働く卒業生の言葉には、説得力と重みがあった。
取材・文=岡本朋祐