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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第91回「キャンプが近づくとソワソワする」

 

日本ハムの監督時代の僕。日本ハムの新人が始動した鎌ケ谷のグラウンドです


夫婦ゲンカ、真っ最中


 年が明け、各地で新人の合同自主トレがスタートしました。

 1969年入団の僕の新人時代となると、もう50年も前の話ですが、いまでも、この時期になると、朝、目が覚めたばかりのときなど、ふと「そろそろ体を動かさないと、キャンプに間に合わんな」と一瞬、考えてしまうときがあります。体に染みついたものがあるんでしょうね。

 一度でも球界を離れ、まったく違う仕事をしていたらまた別なのかもしれませんが、ずっとプロ野球の世界で生きてこられた、という幸運もあると思います。もう選手ではないし、ユニフォームも着ていませんが、解説や少年野球の指導など、18歳から入ったプロ野球の世界の延長線上で仕事をやっています。本当に幸せな男だと思います。

 延長線と言えば、ナオミさん(愛しの妻です)に言わせると、僕が若いころとまったく変わらないのは“食欲”だそうです。確かに、食べられる量は落ちましたが、「おいしいものをたくさん食べたい」という欲自体は、まったく衰えを知りません。

 ナオミさんは、「あなたと祭(=12歳トイプードル♂)には、食欲がないということがまずない。あなたは出会ってから、祭は、このおうちの子になってから、2人とも“食欲がない”という日を一度も見たことがない」とよく言います。

 確かに、病気をしていてもケガをしていても、とにかく2人とも食べます。そして、よく寝ます。

 開き直るわけじゃありませんが、それが生命力の強さ、自分らしさにつながる、とも思っています。

 食べて飲んで笑って仕事をして、家族と楽しく暮らす。

 どんなときでも家族とともに前を向いて、顔を上げて歩いていきたいと思っています。

 ただ……、そう言いつつも、実は最近イライラがひどい時期がありました。物忘れがあったり、何かやろうとしてもうまくいかなかったりが続き、知らず知らず、自分にイライラが募っていたのかもしれません。

 ナオミさんは「抗がん剤治療をしているとケモブレインという症状で、そういう報告があるらしいよ。そう思って、気をつけながら過ごせばいいんじゃない?」と、以前から言ってくれていたのですが、先日、そんなナオミさんに、イライラから感情が爆発し、大きな声をあげてしまいました。

 しかも、ナオミさんも朝から偏頭痛の発作が出て具合が悪かった日に。自己嫌悪です。普段は我慢できるのですが、ナオミさんにだけは、どうしても我慢がきかなくなってしまうことがあります。

 これはもう言い訳のしようがありません。単なる僕の甘えです。猛烈に反省しています。

 1月10日現在、なんとか、会話が復活するところまでは来ましたが、まだ完全な仲直りはできていません。この夫婦ゲンカ。僕のブログではリアル中継(?)していますので、興味のある方は、そちらで。

スイカがうまいから?


 前回は、日本ハムで現役を引退後、NHKの解説者になってからの話でしたが、恐れ多い言い方ながら、そこで親しくさせていただくようになったのが、打撃の神様、川上哲治さんです。覚えているでしょうか。1971年、僕がドラゴンズに入って3年目の話を書いているとき、川上さんに当コラムへ初登場(?)いただきました。

 あのとき、川上さんは監督としてV9巨人の指揮を執り、僕のような一軍上がりたての若造には雲の上の上の、遥か上の、まさに神様みたいな存在でした。

 ただ、僕は僕で、一軍で結構打ったんですよ。しかも、思い切りのいいスイングをあちこちで褒められ、完ぺきに天狗(てんぐ)になっていた時期です。そして、これはうぬぼれとは関係ないのですが、丸刈り、角刈り、パンチパーマが当たり前の時代に、髪を伸ばし、軽くパーマを当てていたんです。「野球選手がおしゃれをして何が悪いんだ」と思いましてね。

 そしたら遠征先で突然、川上さんに声を掛けられたんです。

「おい、大島というのはお前か」

 僕はもう直立不動で、「はい。よろしくお願いします」と大きな声で言ったら、ジロリと見た後、いきなり「髪を切りなさい」と……。

 心の中では「ええ! なんで!」です。いくら大監督でも、ほかのチームの若手選手にいきなり「髪を切れはないやろ」と。

 たぶん、川上さんは、そのときのことをすぐ忘れたと思いますが、その後も川上さんが巨人監督時代は、あいさつくらいしかしたことがなかったです。

 ただ、監督を退任され、解説者になった時代の話ですが、「あれ、結構お茶目な方なんだな」と思ったこともあります。

 僕がまだ現役だった日本ハム時代に、川上さんが春季キャンプに取材に来られたんですよ。なんでも名護(沖縄)は初めてということらしかったです。

 それで、僕もいた選手食堂に入って来て、監督と何やら話していた川上さんが、突然、「うん。今年の日本ハムは勝つぞ」と言ったんですよ。前後の話は聞いてなかったんですが、その言葉だけはっきり聞こえました。

 当時は西武と近鉄が強かった時代で、日本ハムが強いなんて誰も言ってない。でも、そこは神様。なんらかの理由はあるんだろうと思って、川上さんが帰られてから近くにいた人に聞いたら、「ああ、あれね。スイカ」って。「何それ」って聞いたら、「きょうのスイカはうまかった」から始まって「だから今年の日本ハムは勝つぞ」になったらしいと。川上さん、あれが、あの年の初スイカだったらしく、しかもうまかったから上機嫌だったらしいんです。でも、だから強いって言ってもね……。

 同じNHKの解説者となってから少しずつ話すようになり、まったく怖い方ではないし、むしろ優しい方なんだなと思いましたが、そうは言っても自分から話し掛けることはまずありませんでした。僕が巨人OBなら違うかもしれませんけど。何を話せばいいか分かりませんからね。

 思い出してみると、解説者1年生のときは、失敗もたくさんありました。何をやればいいのか、どう話せばいいのか。解説の参考書があるわけでもないし、何をどう勉強すればいいのか自体よく分かりませんでしたしね。

 先輩方からは、いろいろなアドバイスはいただきました、中日、日本ハムで監督だった近藤貞雄さんからは「結果論は誰でも言える。それより次の場面はどうなると言わないと、ダラダラの解説になるぞ」と言われたこともあります。

 ただ、正直、今でも何が正解か分からない中でやっているのが事実です。いまさら言うなと言われそうですが、やっぱり野球は見たり、しゃべったりするより、自分でやるのが一番ですね。

PROFILE
大島康徳/おおしま・やすのり●1950年10月16日生まれ。大分県出身。右投右打。中津工高からドラフト3位で69年中日入団。3年目の71年に一軍初出場の試合で本塁打を放つ。76年にはシーズン代打本塁打7本の日本記録。翌77年に打率.333、27本塁打の活躍で不動のレギュラーとなり、79年にはリーグ最多の159安打、36本塁打、リーグ3位の打率.317の大活躍。83年には36本塁打で本塁打王にも。88年に日本ハムへ移籍、90年には史上最多の2290試合を要して2000安打に到達した。94年限りで現役引退。2000年から02年まで日本ハム監督も務めた。現役通算成績2638試合、2204安打、382本塁打、1234打点、88盗塁、打率.272。

中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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