統一球で成功の理由
8月16日、
西武の
内海哲也が引退を発表した。2004年、巨人に入団した左腕で、今年で40歳になったのかな。俺が11年に巨人のコーチになったときは、左の内海、右の
東野峻が先発の両輪で活躍していた(10年は内海11勝、東野13勝)。
1年目、俺は来たばかりでもあったし、実績ある内海に対し、細かい指示はしなかった。「君は一軍のエースだ。君のペースでやってくれればいい。とにかく1年フルに働いてくれ」とだけ言った。
この年は、反発係数の低い、いわゆる統一球が導入された年だった。とにかく飛ばないボールで、角度がよく打者がホームランと思ってガッツポーズをしたのに平凡な外野フライというのもよくあった。全体のホームランも激減し、ホームラン王は前の年が
ラミレス(巨人)で49本だったのが、
バレンティン(
ヤクルト)で31本になっている。
ボールが飛ばないということは当然、投手には有利なのだが、難しいのは、かわしていると、やはり打たれることだ。俺はあの年「勝負しろ!」という言葉を何度もピッチャーに言っている。かわしているうちにカウントが悪くなって、甘い球を痛打されたり、四球でランナーをためてしまうことが多かったからだ。
内海は140キロ台の真っすぐとチェンジアップがいいピッチャーだった。決して速い球があるわけじゃないが、ストライクゾーンで勝負できるタイプだったし、あの年もきっちり勝負していた。三振を狙うだけが攻めるじゃない。時に真ん中勝負もしながら、低めに投げ、タイミングを外し、凡打を狙うピッチングだ。あの年から2年連続最多勝を獲ったはずだ。
ひたむきな練習
ただ、球速が落ちてくると厳しかった。俺のコーチ時代の最後の年は14年だが、真っすぐは130キロ台になっていた。あの年、リーグ3連覇はしたが、1勝もできず4連敗した
阪神とのCSファイナルでは、第1戦に先発し、滅多打ちをくらい、俺はその責任を取る形で退任となった。
その後、鳴かず飛ばずの中で、2019年に
炭谷銀仁朗の人的補償で西武に行った。西武では故障もあって、わずか2勝しかしていない。マジメな男だから、引退は、自分なりにケジメをつけたいというところかな。
西武の関係者が、「内海を獲ってよかった」と話していたことがある。とにかく周囲に流されず、自分の練習をひたむきにやるところがいいと言っていた。今はいろいろな考えもあるが、ファームの選手の練習量はかなり少ない。ウエート・トレは好きみたいだが、ガムシャラに走ったり、投げ込みをしたりするのが格好悪いような見方もある。内海はそんな中で、文句も言わず、ひたむきに地道な練習を続けていたという。
巨人で一時代を築いた男だし、原(
原辰徳)監督もほうってはおかないだろう。今後、巨人に戻るのか、それともこのまま西武かは分からないが、彼がいいコーチになるのは間違いないと思う。
そうそう、内海に一つ自慢しておこうか。現在、君は通算135勝。あと1勝くらいはするのかもしれないけど、どうやら俺の139勝には届かなかったようだね(笑)。
PROFILE 川口和久/かわぐち・かずひさ●1959年生まれ。鳥取県出身。左投両打。鳥取城北高からデュプロを経てドラフト1位で81年に
広島入団。3年目の83年に先発の一角を確保し、86年からは6年連続で2ケタ勝利を挙げた。95年にFAで巨人へ移籍、98年限りで現役引退。巨人のコーチも務めた。通算成績435試合登板、139勝135敗4セーブ、防御率3.38。