
中日の新人・近藤が初登板の巨人戦でノーヒットノーラン達成。そのとき筆者は……
踏んだり蹴ったり
前回は1987年、
ヤクルトに入団し、大旋風を巻き起こした
ボブ・ホーナーの話を書いた。今回は、もう一つおまけにホーナーがらみである試合から始める。
しっかりと年月日まで言える、1987年8月9日、今はもうなくなってしまった、九州は平和台球場での
阪神-ヤクルト戦に僕はいた。先乗りと先々乗りの仕事がこの試合で重なって、先輩の樋澤(樋澤良信)さんと一緒にスタンドのスコアラー席に陣取る。季節は夏、ナイトゲームとして予定されていた試合だったが、福岡の空は昼ごろから入道雲が沸き立ち、まさに夕立が予想される天気である。
こういうときの僕らスコアラーの心境は「降るならすぐに降って、早く(試合が)流れろ! 降らないなら降らないで、最後まで(試合を)やってくれ!」だった。ラジオのイヤホンジャックを耳に差し込むとアナウンサーは「雷雨」という言葉を繰り返している。試合開始間近になると、青かった夏空に黒い雲がモクモクと立ち込めてきた。「あー、こりゃ来るなぁ」。他球団の先乗りスコアラーたちも今にも降りそうな土砂降りを覚悟しているようだった。
そして試合は始まり、まずは阪神が1点を先制。そのときすでにレフト後方の空は暗くよどみ、それぞれの雲がつながり始める。次の瞬間! 「ピカッ!」。稲妻だ。そして、数十秒後に「ズドン!」という落雷の音。だが、なかなか雨粒は落ちて来ず、試合は1対0のスコアのまま淡々と進んだ。
ここで僕の隣でラジオのイヤホンをして座っていた樋澤さんが言った。「オイ、中日の先発は新人の近藤(
近藤真一。現・真市)だぞ」
えっ、近藤? ナゴヤ球場で行われている中日-巨人戦で中日・
星野仙一監督は、その年の新人、ドライチ高校生を巨人戦にぶつけてきたのだ。他球団偵察に来ている僕たちも、自チームのこの試合展開はとても気になった(近藤は一軍初登板だった)。
現状に目を向けると、打席に入ったのはヤクルトの杉浦(
杉浦享)さんだった。杉浦さんが阪神先発のキーオ(
マット・キーオ)のボールにタイミングを合わせ右足をスッと上げると、その瞬間「ピカッ」、そして次は「ズドン!」と雷が落ちた。杉浦さんは思わず飛び上がって打席を外すが・・・
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