
2000年代後半、山口[写真]、松本らが育成選手から新人王を獲得し、「育成の巨人」ともてはやされたが……
ソフトバンク関係者のささやき
2008年の巨人軍編成本部がチーム強化の一環として、「育成部門強化の方針」を打ち出し、プロスカウトは当時の球団代表の清武英利さんから情報収集を命じられた。僕は
広島を調査対象に定め、山口県由宇町にある「広島カープ二軍練習場」に視察へ。松田元オーナーの野球への情熱にも触れ、多くの学びを得た。
09年、育成選手の実戦経験を積ませるため、巨人、
ロッテとの連合チームの「シリウス」を編成し、社会人チームと対戦する。また三軍を創設し、アマチュア、独立リーグとの非公式試合、フューチャーズ(イースタン・リーグ7球団による混成チーム)と社会人企業チームとの対戦など巨人軍の育成方針が反映されたさまざまな形での策も打ち出された。
僕たちの現役時代である1980年代は現在の育成選手にあたる「練習生」はなかなか実戦を経験することができなかったことを考えると、こうした試みは選手のモチベーションを上げていく上で、とても励みになったことは間違いない。ただ、試合を行う上で、やりくりをしなければならないのは「球場」の確保だった。通常の二軍公式戦や練習スケジュールの間に育成試合を組み込むのは、時間的にタイトだったからだ。
そこで考え出されたアイデアは時間差で試合を行う試みだった。三軍戦は試合開始時間を11時に、そして二軍戦開始時間は16時に設定、1日中試合が行われるジャイアンツ球場は急きょ、ナイター設備を増設し、薄暮ゲームという形で試合を運営していった。
三軍のコーチやトレーナーなどのスタッフの増員も運営の受け皿として充実を計らなければいけない。特にグラウンドのフル活用に関しては、グラウンドキーパーの稼働時間も以前よりも圧倒的に増え、キーパーの増員も行いながら対応した。
とにかく、育成環境を整えるということは人的なもの、コスト的なものなどを考えると、それは多大な努力が必要とされるものだった。そして、その「三軍」という環境から
山口鉄也投手、
松本哲也外野手という一軍での主力メンバーに食い込んでくる力を持った選手が誕生する。まさに当時、「育成の巨人」と言われる新しい風が球界に吹いてきた。
そんな当時、
ソフトバンクのある関係者が僕の耳元でそっとささやいた・・・
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