
神宮球場で職業野球の試合が開催されたのは史上初。この日、東軍からプロデビューした大下弘[セネターズ]の打球は娯楽に飢えた大観衆を魅了した
生きるのに必死でも野球のために集結
1945年、戦争が終わった。
8月15日、正午。ラジオから流れる雑音交じりの「玉音放送」は、日本がアメリカを中心とする連合国に敗れたことを伝えた。国土は空襲で焼かれ、日本人だけで300万を超える命が失われた。祖国は今後どうなるのか。不安と絶望が、国民の心を覆った。そんな中、密かにこう思う男たちがいた。
「これで職業野球を復活できる……」
当時は職業野球と言われたプロ野球のリーグ戦が始まったのは、36年のことである。人気は東京六大学野球などには及ばなかったが、
沢村栄治(
巨人)が剛速球を投げ、豪打の景浦將(
阪神)が弾き返すプロ野球は、確かな数の観客を魅了した。
だが太平洋戦争が始まると、野球は「敵性スポーツ」として白眼視されるようになる。野球用語をすべて日本語にするなど時局に迎合しつつ、それでもリーグ戦を続けたプロ野球だったが、44年11月13日に休止となった。選手たちは次々と入営し、沢村と景浦を含む76名が戦場に散った(彼らの名前は東京ドーム横にある『鎮魂の碑』に刻まれている)。
そんなプロ野球を再興するために、明日をも知れぬ状況でありながら・・・
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