
イラスト=イワヰマサタカ
空襲で焼け野原となった東京の新橋駅前に、一棟のビルが焼け残っていた。そこに「仙台製作所」という看板を掲げて事務所を管理していたのが、戦前に名古屋軍の監督を務めていた小西得郎だった。
その事務所は終戦直後から、地の利の良さもあって、職業野球復活の思いを抱える球界関係者のたまり場となっていた。闇市にコネクションのある小西のおかげで、ここに来れば食料も手に入った。連盟理事の鈴木龍二、鈴木惣太郎、元東京セネタース監督で審判員だった
横沢三郎、関西からは
阪神軍の富樫興一、阪急軍の村上実、近畿日本軍の松浦竹松らもやって来て出入りしていた。
そして産業軍球団代表の赤嶺昌志もそんな仲間の1人だった。戦時中、名古屋軍の親会社・中部日本新聞社は統制下で自由が利かず、球団経営が難しくなった。社長の大島一郎は友人の紹介でチームを野球続行が可能な軍需産業の理研工業に移管する。赤嶺も球団代表として選手たちと行動を共にした。しかし戦争が終わると軍需産業の理研工業は活動を停止。連合国軍最高司令官総本部(GHQ)による解体を待つ状態となってしまう。そのため赤嶺は鈴木龍二連盟理事に・・・
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