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[ドラフト特別連載] あの日あの年

甲子園で躍動した下級生エース

 

前橋育英を夏の甲子園初出場初優勝へ導いた右腕・高橋光成
下級生が主戦としてV投手となったのは、05年の駒大苫小牧・田中将大(現楽天)以来の快挙だ。

ここではドラフト特集恒例の「あの日あの年」特別編として、1年生でV投手となったPL学園・桑田真澄(元巨人ほか)ら、甲子園で優勝した下級生エースの系譜を振り返っていこう。
写真=BBM

 今夏の甲子園で初出場初優勝を飾った前橋育英・高橋光成。2005年に夏連覇を達成した駒大苫小牧・田中将大(現楽天)以来、8年ぶり12人目となる下級生の優勝投手となった。だが、当時の田中は背番号11を背負い、5試合中4試合が継投。3年生の松橋拓也とともに“共闘”した形だ。「1」を着け、6試合中5試合に先発し、先発した試合はすべて完投した高橋と比べる投手を探すならば、もう少し時代を遡る必要がある。

▲05年・田中[駒大苫小牧]



 95年、右腕・白木隆之を擁する帝京は東東京大会を3年生・本家穣太郎との2本柱で勝ち上がり、甲子園出場を決めた。全国の舞台でも、初戦の2回戦(対日南学園)、3回戦(対日大山形)を細かい継投で下したが、準々決勝(対創価)から一変。白木が公式戦初完投勝利を上げると、続く準決勝(敦賀気比)では初完封。勢いそのままに決勝(対星稜)も1人で投げ抜いてみせた。

▲95年・白木[帝京]



 ちなみに決勝の相手、星稜のエースは山本省吾(現ソフトバンク)。彼もまた2年生で、このときはどちらが優勝しても下級生優勝投手が誕生していた。さらに、前年の佐賀商・峯謙介、翌年の松山商・新田浩貴と、94〜96年の3年間は、いずれも下級生が優勝投手となっている。

5試合をほぼ1人で投げ抜いた“怪童”

 83年のPL学園・桑田は、唯一の1年生での優勝投手だ。大阪予選で「17」だった背番号は本大会で「11」となり、1回戦の所沢商戦で甲子園デビュー。2回戦の中津工戦で3安打完封勝利を挙げると、水野雄仁を擁して史上初の甲子園3連覇を目指した池田を相手に準決勝で7対0の完封勝利。決勝では横浜商を下し、学制改革以降最年少の優勝投手(15歳)となった。それまでも早実・荒木大輔ら1年生投手が夏の甲子園決勝へ進出した例はあったが、優勝は桑田しか成し遂げていない。その後、1年生ながら全日本高校選抜にも選出され、一躍スターの仲間入りを果たしたことは、ご存じのとおりだ。

▲83年・桑田[PL学園]



 さらに歴史をひも解けば、学制改革以降に初めて下級生で優勝投手となったのは57年の広島商・曽根弘信。卒業後は慶大、東芝へと進んだ。60年には後に巨人入りする法政二・柴田勲。そして、61年には柴田と甲子園でしのぎを削った浪商の“怪童”・尾崎行雄が夏の甲子園の頂点に輝いた。5試合をほぼ1人で投げ抜いた尾崎は、同年の11月に高校を中退して東映入り。翌年、ルーキーイヤーに20勝を挙げ、史上最年少で新人王を獲得したのだった。

▲60年・柴田[法政二]


▲61年・尾崎[浪商]



 もしも、夏の甲子園で輝きを放った1、2年生が高校卒業を待たずしてすぐさまプロ入りしたら……。そんなことを思わせる大器は、果たして今後現れるのだろうか。
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