負けない投手だった。活躍した期間は短かったが、絶大な存在感を放った。自らの右肩の悲鳴には耳をふさぎ、チームの思いを背負って投げ続け、あまりにも 大きな代償を払った。しかし、言い訳はしない。投手としての信念があるから。 文=田尻耕太郎
写真=BBM
先頭に立つ姿勢 一時代を築いた球界の大エース・
斉藤和巳。キャリア晩年は右肩のリハビリに多くの時間を費やし、それでも残念ながら復活のマウンドに立つことはできなかったが、振り返れば“エース”の称号を疑う余地のない実績を残した右腕だった。
03年20勝3敗、05年16勝1敗、06年18勝5敗。投手タイトルを総なめにし、06年には「投手4冠」(最多勝、最優秀防御率、最高勝率、奪三振王)のプロ野球史上11人目の快挙を達成。そして、投手最高の栄誉である沢村賞には2度(03年、06年)も輝いた。
150キロを超えるストレート。140キロ台の高速フォーク。そしてスライダーに、大きく曲がるカーブを自在に操った。通算403本塁打の大砲・山埼武司(
中日)は次のように振り返る。「
オリックス、
楽天にいたときに何度も対戦したけど、彼のボールは常に低めに来るからとても打ちづらかった。打者にとって一番おいしいのはフォークのすっぽ抜けだけど、それはまずない。フォークもストレートと同じように低めから落ちるから、ワンバウンドだけど振っちゃうんだ」
そして、こう続けた。「勝つピッチャーというより、負けないピッチャーだったよね」
通算79勝23敗、勝率.775。
その言葉に同調したのは、味方野手として共に戦った
大道典良現
ソフトバンク二軍打撃コーチだ。「和巳が投げるというだけで、チームには安心感があった。いつもより気合も入ったね」野手からの信頼。それはエースと呼ばれる投手の絶対条件の一つである。
「成績はもちろんだけど、和巳は普段の練習から一生懸命やっている姿がとても印象的だった。エースになると、若手が先頭に行って自分は後からというタイプが多くなるんだけど・・・
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