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育ての親が語る

シニア時代のコーチ関本四十四が語る 松井裕樹がプロの舞台で輝くための条件

 


2013年ドラフトの目玉でもあった桐光学園高・松井裕樹。高校生投手としては歴代2位タイの5球団が競合し、稀代のサウスポーは楽天でプロとしての第一歩を踏み出すことになった。そんな左腕をシニア時代に3年間にわたって指導したのが野球評論家の関本四十四氏だ。当時の松井は同氏の目にはどう映っていたのか。またプロの舞台で活躍するために何が必要なのか。知られざるエピソードとともに、語っていただいた。

取材・文=近藤泰秀 写真=BBM

天性の資質

 松井裕樹との初めての出会いは、彼が小学6年生の1月。12球団ジュニアトーナメントに参加(ベイスターズジュニア)していたため、練習参加が年明けになりました。当時から大きなテークバックで、左腕をポンと落としたところからヒジが上がり、トップの位置も深かった。健康で雪だるまみたいにガッチリした体型が印象的でした(笑)。

 松井の武器といえば高速スライダー。でも、青葉緑東シニア時代は大きいタテのカーブでした。プロから見て評価が高い彼の長所は変化球でも真っすぐと同じように、腕が振れるということ。また、フィニッシュで投げ終わった後に三塁方向に倒れるのも、「この方が腕が振れるから」と本人も言っていたとおりで、私も今のままでいいと言いました。

 中学時代から優れた資質を持っていた松井は、桐光学園高で股関節を柔らかく使うことを覚えることで球速も伸びたのだと思います。

 私自身、ピッチャーに対して、細かいことは言いません。週末しか指導しない青葉緑東シニアのコーチが、パーツごとにうるさく言うと、この年代はイップス(精神的投球障害)になる恐れもある。理にかなっていない投げ方をしていれば、修正する必要がありますが、松井の場合は何も言うことがありませんでした。

▲9月に行われた18Uワールドカップでもジャパンのエースとして活躍した松井裕樹。その能力の高さを世界の舞台でもあらためて証明してみせた



 松井は元々、肩甲骨の可動範囲がものすごく広いために、小さいころから故障の経験もありませんでした。それに加えて、桐光学園高の野呂雅之監督が大事に使ってくれたので、感謝感激です。最後の夏も甲子園に行けなかったけれど、逆に良かったんじゃないかな。実力はもう十分に証明されていましたし、18Uワールドカップでも活躍しましたからね。

学習能力が高い投手

 シニア時代、松井が3年の代のチームでは、松井ともう一人の左腕の二枚看板を築けたことから、全国制覇を遂げました。もう一人の左腕とは、その後、山梨学院大付高に行った坂本という松井同様小柄な選手で、右打者のヒザ元へのストレート、食い込んでいくスライダーが武器でした。

 一方の松井はタテのカーブが武器で、ときどき曲がり過ぎて、右打者の足首にデッドボールを当ててしまうほどでした。桐光学園高に入ってからは、ワイルドピッチも防ぐため、タテの変化に加えて、横のスライダーも覚えましたが、とにかく彼のカーブは当時、高校生でも打てないと思ったほどキレがありました。私は選手・コーチを含めてプロで40年以上飯を食っていますが、長年見てきて、大きく割れるカーブを持っているピッチャーは、この世界で長生きできると思っています。堀内恒夫さん(元巨人)しかり、工藤公康(元西武ほか)もそうです。2000から3000イニングの投球回数もいけると思っています。

 ただ、高校では空振りの取れた球でも、プロではまずファウルにされるでしょう。また、プロは球筋を覚えられたら、打てない球には手を出さず、ボールを選ばれます。そのとき、どのように対処できるか。チェンジアップを磨いてみるのもいいでしょうが、逆に真っすぐが走らなくなることもあるわけですね。とはいえ、松井も学習能力の高い子ですから、そこは心配していません。

 フィールディング、けん制に関しても、まだまだ課題があります。プロの投手として学ぶべきことは、これからたくさんあるはずです。

プロ仕様の自分の武器を

 これは青葉緑東シニア独特のシステムですが、中3で引退して高校でも野球をやりたい選手だけを集めて、私の傘下で厳しいトレーニングに取り組んでいます。3年は早ければ大会で負けた6月に引退。そこから高校入学までの長い間、成長期にある中学生は鍛えないといけません。松井の代は全国優勝した後の8月から、高校の練習に合流するまでの約半年間、みっちりやりました。

▲関本四十四氏がコーチを務める青葉緑東シニアの練習風景。良き指導者たちとの出会いも、豊かな才能を育む上で欠かせないものとなった



 このシステムのメリットは3つ。中学3年の成長を止めないこと、高校野球で一歩も二歩もリードできること、そして最後は後輩のためです。

 引退する先輩が新チームの後輩たちを相手に、フリーバッティングなどの練習相手になるのです。松井も先輩からそうして鍛えられましたし、逆に後輩を鍛えるべく、3年間の蓄積をチームに恩返ししました。

 松井の練習への取り組みはすごかったけれど、足の遅さが玉にキズでした。長距離走でもいつも集団のケツにいましたから。「ピッチャーが何で後ろを走っているんだ」と、いつも怒られていましたね(笑)。

 プロへの階段を上り始める松井ですが、松井といえば奪三振。甲子園の22奪三振という数字は一生付いてきますから、それに惑わされないことが大事です。頭の切れる彼のことですから、大丈夫でしょうが、早く自分だけの特殊な武器(変化球)を身につけてほしいです。

 また、プロは故障しないために、自分の体をケアすることも仕事。早く球団のトレーナーに自分の体の特徴、筋肉の質などを分かってもらうことがプラスにつながります。プロ仕様の体になるまでは2〜3年かかります。急ぐことはありません。

 高卒でプロ入りする選手のなかには、高いレベルの環境にすぐ順応するタイプもいます。松井がうまくハマってくれることを願っています。



PROFILE
せきもと・しとし●1949年5月1日生まれ。新潟県出身。糸魚川商工高から68年ドラフト10位で巨人入団。71年より先発ローテに定着して新人王に輝いた。74年にも10勝をマークして防御率2.28で最優秀防御率のタイトルを獲得。76年は太平洋、77年は大洋でプレー。78年に現役引退。野球評論家や小社顧問を経て、86年から91年、2004年から05年の間、巨人の二軍投手コーチも務めた。現在は評論家活動のかたわら、青葉緑東シニアのコーチとして少年たちの指導を行っている。プロ通算は166試合27勝41敗1S防御率3.14。
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