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最初の東京五輪が開催された1964年に王貞治巨人)が作った「年間55本」の本塁打記録が、2回目の東京五輪の開催が決まった2013年秋、ついに更新された。最終的にその本塁打数をアジアのプロ野球では前人未到の「60」にまで伸ばしたのは、ヤクルトバレンティン。記録ずくめだった今シーズンについて、語り尽くしてもらった。

取材・構成=落合修一 通訳=近藤広二(ヤクルト) 写真=阿部卓功(インタビュー)

※このページの最後にバレンティン選手の直筆サイン入り色紙応募についてお知らせがございます

55号更新のときは
プレッシャーを感じていた


▲9月15日の阪神戦(神宮)の初回、NPBのシーズン記録を更新する56号本塁打を放ったバレンティンがファンからの歓声に応える(写真=小山真司)



――長年日本球界の年間本塁打記録だった「55本」を破りました。

バレンティン 本当にうれしかったし、個人的には今年は良いシーズンを過ごせた。自分にとって特別な記録になったことは間違いないね。

――「55号」に近づいてくるにつれて周囲も騒がしくなってきたと思います。

バレンティン 8月下旬に、49号、50号と1試合2本打った試合があって(8月27日、対中日=神宮)、その時点で残り試合数を見たら30試合くらい。このままピッチャーが普通に勝負してくれれば、更新できると思った。記録を意識したのは、そこからだった。

――55号、56号と打っていく過程で、いつもと違う雰囲気や、プレッシャーのようなものを感じたことはありましたか。

バレンティン 52号を打ったとき(8月30日、対DeNA=神宮)くらいから報道陣の数が増えてきて、自分に対する注目度が上がったのを感じた。54号(9月10日、対広島=神宮)から55号(9月11日、同)にかけてのときが、特にすごかった。ファンの皆さんの「いつ打つんだろう」という期待も感じたので、それはプレッシャーだった。

―一そのプレッシャーを、どのように克服しましたか。

バレンティン 当時は毎日、報道陣から記録のことばかり質問されていたが、なるべくその件は聞かないで、ほかのことを考えようとしていた。

─一記録を更新したときは、ホッとしたでしょうね。

バレンティン 56号を打った瞬間(9月15日、対阪神=神宮)から、いつ打つんだろうという視線から解放されたね。あとは最終的な本塁打数への興味があったと思うけど、55号を更新するプレッシャーと比べると小さなことだった。あと何本打てるのかなんて、自分でも楽しみだったくらいだったから。

▲阪神・榎田の投球をとらえ、シーズン56号本塁打を打った直後(写真=小山真司)



――今年の記録更新によって、今まで以上に名声が高まりましたね。

バレンティン 今年は日本中から注目された気がする。それはやはり、王貞治さんという伝説の大打者の記録を抜いたからなのだろう。記録更新の際には、日本中のファンが注目してくれて、応援してくれた。それはやはり光栄だし、うれしかった。



――過去にローズ選手(01年近鉄)、カブレラ選手(02年西武)は、王さんの記録に並ぶことはできても追い抜けませんでした。記録更新を快く思わない対戦相手が勝負しなかった場面もあったようです。しかし今回は試合展開と無関係の、記録を阻止するための四球はなかったように思います。

バレンティン ローズさんやカブレラさんの当時のことは、話としては聞いたことがあるが、直接知らないので何とも言えない。一つ言えることは、当時とは時代が変わった。ファンも選手たちも、世代が代わっている。きっかけとなったのは、イチローさん(現ヤンキース)や松井秀喜さん(元ヤンキースほか)、ダルビッシュ(レンジャーズ)のメジャーでの活躍。

 特にイチローさんはMLBでも数々の記録を作ったが・・・

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