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▲1月7日に始動。侍ジャパンから持ち帰った課題を意識し、入念なキャッチボールに「しっくりきています」




取材・文=坂本匠 写真=高原由佳、BBM

 小久保裕紀監督率いる侍ジャパンのメンバーに選出され、初めて日の丸を背負って投げた台湾戦(11月9日、台北・新荘)から2カ月。ドラフトイヤーの幕開けに、周囲もにわかにザワつき始めているのだが、渦中の高木伴はいたってマイペースだ。

 年末のスポーツ紙に“阪神 高木獲り!”の文字が躍ったと話を向けても、「見ていないんですよ」と笑顔、続けて「(プロに)行けないと思っていたので、何か大げさになってきちゃいましたね」と切り返された。自身を取り巻く環境の変化を、楽しんでいるようにさえ見える。

 高木に関しては、解説が必要だろう。今季、NTT東日本入社2年目を迎える右腕だが、甲子園出場経験もなければ、東農大時代は4年間東都二部暮らし。「僕の実績では社会人で野球を続けるのも厳しいと思っていた」と認めるくらいだから、一般に名前が売れていないのは当然だ。

“一般に”としたのは、高校時代、複数のスカウトを虜にしたことがあったから。もう、6年も前の話である。“斎藤雅樹二世”に聞き覚えはないだろうか。斎藤雅樹とは、もちろん89、90年に2年連続20勝を挙げた、あの巨人の、である。高木はその斎藤を輩出した、市立川口高の後輩。入学時は遊撃手だったが、投手へ転向すると3年時には最速144キロの速球派として県内に名をとどろかせるまでになった。

 3年夏の南埼玉大会には最大で10球団のスカウトが集まったこともある。しかし、好事魔多し。大会直前に右ヒジ、背筋を痛め、最後は準々決勝で敗退。力不足を認識し、プロ志望届の提出も見送った。

 そんな高木の名が再びスカウトリストに載るキッカケとなったのが、昨季の都市対抗だろう。東京第一代表決定戦で先発に抜擢。後に日本ハムから2位指名されるセガサミー・浦野博司に投げ勝って本戦切符を手に入れると(5回無失点)、都市対抗初戦の東邦ガス戦でも先発を任され、6回途中1失点と堂々たる投球を披露した。

「運があっただけ。長いイニングも投げていないし、逃げ切った印象」と自らにシビアだが、27歳以下の若手主体のメンバー構成とはいえ、その後の侍ジャパン選出が彼の成長と現在地を物語っている・・・

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