週刊ベースボールONLINE

 



ここ2年、右肩痛のため戦列を離れるケースが多かった浅尾拓也だが、6月6日に復帰登板を果たし、谷繁竜が上位へ浮上するためのカギを握っている。完全復活への長きの道のりをクローズアップしてみたい。
文=富田 庸 写真=桜井ひとし、松村真行

新たな挑戦と苦難

 2月初旬に向き合った浅尾拓也の眼差しには、未来への希望が宿っているようだった。

「今年は早く始動したこともあって、ここまでは順調です。長くやっているので、疲れが出る時期も分かっていますから」。

 もちろん、慎重な姿勢は崩さない。無理もない。かつて“竜の最強セットアッパー”と呼ばれた男はここ数年、まったくと言うほど満足のいく投球ができないままでいるからだ。2012年は29試合、13年は34試合と登板数が激減。年間通じて働くことはできなかった。右肩痛がこの右腕をとことん苦しめていたのだ。

「投げられないストレスが大きかったです。試合で投げられる寸前のところまで行って、また同じような痛みが走って……。本当に同じことの繰り返しで、先が見えなかった」

 焦ってはいなかったけれど、どこかで無理をしてしまう自分もいた。

「同じことの繰り返しはしたくなかった。でも、セーブし過ぎて次の段階に進めないのも良くない。悩むことは多く、本当にいろいろなことを勉強させていただきました」

 とにかく、何かを変えたかった。13年シーズンが終わり、頭に浮かんだのは“鳥取”というキーワードだった。山本昌岩瀬仁紀に志願して、秋季練習中にワールドウィングでのトレーニングに参加させてもらった。いわゆる初動負荷理論に基づくトレーニングで、野球のみならず一流アスリートの間で広く知られている。

「午前、午後とその動きを続けます。重い負荷がないため、最初はなかなか手応えを感じにくかった。でも、3、4日後にキャッチボールをしたら、驚くほど肩が痛くなかったんです。久しぶりの感覚でした」

 オフの間に2回目、春季キャンプ前に3回目をこなし、行くたびにその効果を実感できた。「腕を上げたときの肩の“詰まり”もなくなりました」。実際に投げ方も教わり、肩の可動域が広がったという。

 このように、周到な準備を重ねて迎えた春季キャンプだった。それだけに復活間近と思われたのだが……。期せずして、さらなる苦難が「背番号41」に覆いかぶさってきた。今度は右ヒジだった。2月20日に張りを覚えて調整のペースダウンを余儀なくされる。3月2日に打撃投手を務めるも12球で降板。名古屋に戻り6日に精密検査を受けると、その診断結果は「右ヒジ関節内側の側副じん帯損傷」だった。手術はせずに全治数カ月とされ、開幕は絶望となってしまった。いったい、どこまで厳しい現実を受け入れなければならないのだろうか――。
特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング