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甲子園で幾多の名勝負を繰り広げてきた名門校を紹介する。北は北海道、南は熊本と各地の強豪からは、今夏も目が離せない
ユニフォーム写真協力=元祖野球鳥おかむら(http://www.yakyudori.jp/)


●学校創立:1983年
●創部:1988年
●住所:大阪府大東市中垣内3丁目1-1
●主なOB:中田翔(日本ハム)、西岡剛(阪神)、中村剛也(西武)、浅村栄斗(西武)、平田良介(中日)、藤浪晋太郎(阪神)、岩田稔(阪神)、今中慎二(元中日)
●甲子園通算成績/通算35勝9敗
●春6回出場(通算12勝5敗)
●夏7回出場(通算23勝4敗)

一流プロを輩出する平成最強校

▲91年の初優勝チーム。1回戦では和田友貴彦がノーヒットノーランの衝撃デビュー



 PL学園が最後に全国の頂点に立った1987年の翌88年に創部され、4年目の91年春に甲子園初出場。同年夏の2季連続出場で全国制覇と強烈なインパクトを残した。強さの秘密は、まずスカウティング力にある。全国から能力の高い選手を集め、その才能を伸ばし続けることで、強さを維持してきた。92年以降はしばらく全国の舞台から遠ざかるが、02年夏に復活の甲子園出場。08年に2度目の夏制覇、12年には史上7校目の春夏連覇を決めた。現在、12人の卒業生がプロ野球の世界で活躍している。

▲エース・藤浪による甲子園10連勝の活躍もあり、12年は春夏連覇



【現役プロに聞く】高校時代の思い出
藤浪晋太郎(阪神) 2010〜12年在籍



「いくつかの学校の練習を見学させてもらい、大阪桐蔭の守備練習のスピード感と声の出し方に衝撃を受け、進学を決めました。練習のレベルも高かったです。印象的なのは3ボール0ストライクからのシートバッティング。最初は簡単に打たれ、四球も出したのですが、ファウルを打たせるなどストライクを取る方法を学びましたね。寮では同級生だけの3人部屋でした。3人でたわいのない話をしたり、一緒に風呂に入ったり、ご飯を食べたりと、普段の何気ないことが一番の思い出です」





●学校創立:1898年
●創部:1923年
●住所:熊本県熊本市中央区上京塚町5-1
●主なOB:荒木雅博(中日)、前田智徳(元広島)、伊東勤(ロッテ監督)、緒方耕一(元巨人)、川上哲治(元巨人)、吉原正喜(元巨人)、西園寺昭夫(元東映ほか)
●甲子園通算成績/通算45勝40敗
●春20回出場(通算16勝20敗)
●夏20回出場(通算29勝20敗)

3度の決勝進出すべてで準優勝

▲川上哲治[後列左端]が在籍していたころのチーム



 甲子園で3度決勝に進出したが、いずれも準優勝に終わっている。最初は1934年。危なげなく決勝まで勝ち進んだが、呉港中のエース藤村富美男に完封され、0対2で敗戦。2度目は37年夏。準々決勝で呉港中を下すも、中京商との決勝では野口二郎に完投され、1対3で敗退。どちらの大会も川上哲治が出場した。3度目は96年夏。松山商との決勝は9回裏に追いつき、10回裏一死満塁から右翼への大きなフライを放つが、相手の奇跡的なバックホームに刺され憤死。11回に3失点で敗れた。

▲96年夏決勝、奇跡のバックホームに三走・星子崇がタッチアウト



【現役プロに聞く】高校時代の思い出
荒木雅博(中日) 1993〜95年在籍



「僕は一般入試で熊工に入りましたし、甲子園にという気持ちはあまりなかったんです。1年生のときは走ってばっかり。でもそれで、プロに入ってからも練習できる体力がつきましたね。伝統の重みはプロ野球に入ってから気づきました(笑)。熊工で良かったって、本当に思っていますよ。教育方針として基礎を大切に、だけど伸び伸び、自分たちの持っている素質を伸ばすような野球をやらせてもらった。だからこそ、熊工を出た選手たちはプロで大成できる傾向にあると思いますね」





●学校創立:1894年
●創部:1904年
●住所:宮城県仙台市泉区館七丁目101番1号
●主なOB:ダルビッシュ有(レンジャーズ)、斎藤隆(楽天)、佐々木主浩(元横浜ほか)、葛西稔(元阪神)、安部理(元西武ほか)、若生忠男(元西鉄ほか)、若生智男(元阪神ほか)、中根仁(元近鉄ほか)、嶋重宣(元広島ほか)、雄平(ヤクルト)
●甲子園通算成績/通算42勝40敗
●春20回出場(通算14勝19敗)
●夏20回出場(通算28勝21敗)

2年のダルビッシュ擁して準優勝

▲89年のチームは甲子園に届かなかったが、神宮大会を制した



 全国大会の始まる11年前に創部された伝統校は、1930年夏に初出場でベスト8入りを果たす。その後はしばらく甲子園から遠ざかり、50年代に出ても1、2回戦敗退が続いた。のちにプロへ進む選手が4人いた59年夏のチームが快進撃を見せる。1回戦は大勝も、2回戦、準々決勝は僅差の勝利。宇都宮工との準決勝は延長10回の末に敗れた。次の4強は72年春。2年生左腕・岡嶋敏彦を中心としたチームで準決勝まで進むが、仲根正広(のち近鉄ほか)を擁する日大桜丘にサヨナラ負け。

 最も優勝に近づいたのはダルビッシュ有が2年時に迎えた2003年夏だ。チームは順調に勝ち進むが、準々決勝でダルビッシュが右スネを痛め、過労性骨膜炎と診断される。準決勝はエース抜きで勝つが、決勝では常総学院打線につかまり、2対4の敗戦。東北勢初の優勝はいまだに果たされていない。

▲2年生エースのダルビッシュ[右から2人目]がいても頂点に届かず、準優勝



【現役プロに聞く】高校時代の思い出
雄平(ヤクルト) 2000〜02年在籍



「東北高校を選んだ理由は、同級生が2人行くことになっていたのが大きいですね。知っている人がいないとさみしいですから(笑)。東北高の練習はウオーミングアップから独特で、気功のようなことをします。呼吸法か何かだとは思うのですが……。監督さんがとても厳しく、練習もかなりきつかったです。ですが、その分先輩はとても優しくて、上下関係もほとんどない。東北出身の人が多いからかみんな温厚なんですよね。そのメンバーで厳しい練習を乗り越えて、甲子園へ行けたときはすごくうれしかったです」
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